Rock, Talk, Smoke….Drunk? vol.19 「OVERHEAT 49」

百々和宏49歳&ソロレコ発&書籍発のおめでたミルフィーユのライブは、もちろんヤマジさん参加なので配信で夜中にヘッドホンして鑑賞。


モモさんがヤマジさんをギターに“当て書した“「CRY GUITAR CRY」、モモさんがUKP時代からのファン魂を爆発させた楽曲に対して、「そうですそうです、ファンはこういうギターを聴きたいんですッ!」と見事に炸裂したギターがすんばらしかった。ヤマジさんは昨今、いろんな場でいろんなタイプの曲を弾くけれど、やっぱりtelevision直系なキリキリしつつバーストする音色が一番カッコいい!こんな曲を作ってくれてモモさんありがとう〜〜〜!!
ここでスパークして次曲に雪崩れ込み「オーバーヒート49」の冴え渡りっぷりに息を呑む。アルバムでは奥野真哉さんのキーボード部分をヤマジさんがギターで。曲としてはコステロを思い出すテイストだけどサイケデリックな装いになり、まー気持ちの良い音の応酬。何度も身を乗り出してしまった、家なのに。
最後はベース ウエノさん・ドラムに益生さんが入ってのカバー連発。許可云々のせいか邦楽のみで残念…と思いきや、最後にヤマジさんサラッと「T.V.Eye」のフレーズを差し込んでくれて、こういうとこがやっぱり素敵なのよねえ。

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インタビュー読むとモモさんは真面目で正直で良い人だなあとつくづく思う。こういう曲がオレは好きなんだ!っていろんなタイプの楽曲をつくって、尊敬しつつ戯れ合う仲間たちと演奏し、真ん中で気持ちよく歌い上げる主役「モモカズヒロ」の魅力爆発のライブだった。
ヤマジさんは5年前くらいからモモさんとやるようになってから、マジで触発されているはず。ちょうどタイミングも良かったこともあって、ちょっと開いてきた扉をぐいっと開いてくれた存在で、変な遠慮もせず且つ気を遣いながら接することのできる人だからこそだと思う。もちろん、ボーカル&ギターとしてのパフォーマンスがあってこそで、最近ヤマジさんが「唄うこと」に目覚めたのも、モモさんの歌を間近で聴く機会が多いこともキッカケのはず。だってモモさん、ロックンロールをほんっと気持ちよさそうにかっこよく歌い上げるもの。
モモさんへありがとうございますと感謝しつつ、49歳、誕生日おめでとうございます。

「おかえりモネ」についてつらつらと。

朝ドラを全回見たのは久しぶり。この数作は生い立ちから辛くて見るのをやめてしまった。

「おかえりモネ」は主演の清原伽耶さん・脚本の安達奈緒子さん・音楽が高木正勝さんという布陣にこれまでにない静けさを感じた。海や森に現れる霧や光の静謐な姿を描き出す演出に息が止まって心が解けた。序盤で感じた印象はずっと続いた。丁寧で根気強く丹念に抑えた表現で伝え続けてくれた。光と間が織りなす美しい映像にクイっと刺さり染みる台詞で、「自分の」仕事を見つけて打ち込む「彼ら」の姿を感じ取った。


・未来に対して、僕らは無力です。でも、だからせめて今目の前にいるその人を最大限大切にするほかに恐怖に立ち向かう術はない

・なんも関係ないように見えるもんが、何かの役に立つというのは世の中にいっぺえあるんだよ

・変わりながら続けていって、大事なものを守ればいい

・元に戻ることだけがいいことだとは思えねえんだよ

こんな台詞たちも「“あなたのおかげで助かりました“は、麻薬」の一言が吹っ飛ばす。


シーンで言えば、森の木立から差し込む光の輝きが忘れられない。あのような光を見たくて私たちは生きていくのではないだろうか。そして「これで救われる?」と突き放したシーン。その場限りの共感で安易に救われがちな世の中に対して挑戦的だなと唸った。もう一つ、島に帰ってきたものの、予想外にみんな楽しく和気あいあいと作業している場に怖気付いて引き返そうとするものの、このままじゃダメだと輪の中に入るシーン。日頃周囲の賑やかな輪に入って行けない我が身に置き換えて胸が詰まった。


各シーンの切り貼りではなく、前後と繋がっていることも見事だった。それは私たちの人生と同じように、あの時のあの一瞬が今に、未来に、繋がっているということを感じさせた。そして初志貫徹ではなく、変わっていって良いと背中を押してくれたことに感謝したい。家業の継承もテーマの一つで、地元に留まって親の仕事を継ぐことが良しとされる中でそれは本当に正しいか疑問を投げかけてくれたり、真逆の仕事に就いていたお父さんが最後の最後に家業を継ぐと言い出した時は驚いたし、やっぱり自分に重ねてしまったけれど、全く同じように継ぐのではなく、その時代の中でやり方を変えたっていいということでもあるだろう。自分だけで推し進めるのではなく、異業種と連携して補うやり方を示すこともよかった。


ある意味で完璧なドラマではない。描いている内容は朝ドラ向きではないから批判も多かったと推測するけれど、朝ドラという長期スパンで描くからこそのものがあった。痛みと悩みがわかりやすいほうがテレビドラマにしやすく、肯定的な感想を大きな声でもらいやすいのかもしれない。しかし主人公が時折傍観者になりながら関わる人々を引いた視点で描くことで届く、小さき声の人もいるのだ。衝撃的なシーンよりも何気ない一瞬をふと思い出す、そんな映像作品に日常のなかで気軽に出会える機会が増えて欲しい。


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テレビドラマは脚本家ばかりが語られることが不思議だけど、演出ももちろん重要で、回ごとに演出家が異なることがほとんどだからバランス調整が難しい。チーフ演出の一木正恵さんの真摯な文章に視聴者として感謝したい。
大きな展開や分かりやすい対立構造がなくても、ほんの小さな心の機微を大切に感じとってくれる。迷いやためらいを見せる人間をいとおしいと見てくれる。そんな優しく繊細な、「受け手」の存在を感じるのです。