鮭が遡上する街、中津川の清流。


盛岡に滞在した前の週は雨が続き、北上川は増水してかなり濁っていましたが、支流である中津川は澄んだ流れでした。中津川のほうが川幅も広すぎず、「市民の川」として親しまれているようです。河原には草が広がっていて、コンクリートで固められることなくそのまま、水面へ繋がっていることにとても驚きました。

その水の透明なこと!かなり浅瀬で水底が見えるくらい。
釣りをするオジサンや水遊びする子供がいる川の岸辺に佇んでいると水の音を耳に感じ、鳥の声が聞こえ、そよそよと風が通り抜けていきます。ああ、なんとここちよいひととき。

デジカメの動画機能で録画してみました。ブレブレですけど、感じが伝わればいいな。


この数日間、夕方になると河原に下りて、ぼんやりと空が暗くなっていくのを眺めていました。闇に落ちると点灯する東北電力の塔はキラキラ輝いて、夜の盛岡のシンボルになっていました。

北上川・中津川は、昭和40年代までは上流にあたる八幡平の松尾鉱山から強酸性の排水が流され、赤茶けた「死の川」だったそうです。しかし河川再生事業に取り組んだことにより、川は蘇ったのです。


なんと秋になると北上川・中津川には鮭が産卵のために登ってくるんですって!この市街地に!
鮭は川を下って海で4年ほど過ごし、産卵のため故郷にもどってくるそうで、北上川を下り太平洋で成長した鮭が子孫を残すために、北上川の河口から盛岡までの約200キロを上り,帰ってくるのです。
一時は「死の川」とまで呼ばれていたのに、今では「鮭の遡上」が秋の風物詩になるほどに改善された水質を誇る川を愛するのは、当然のことでしょう。
遡上する鮭の数はびっくりするほど多く、光原社のかたの話だと「その時期は生臭いくらい」だそうで、ちとたじろぎますが、そこには鮭の生死を賭けた営みが伺えます。なんてロマンあふるる!と思いながらも、さぞかし壮絶な光景だろうなあと想像すると、子供心には強烈な印象を残すのではないかなあ。普段は遊んでる川なんだしね。

先程、河原には草が広がっていると書きましたが、以前コンクリートによる護岸工事計画が出されたところ、市民による反対運動が展開され、中止されたそうです。
また、「あぶない!」なんて子供への注意喚起の看板はひとつもないし、落書きも無いし、ゴミひとつ落ちていません。東京や我が故郷と比べると、これはちょっとスゴイことなんじゃないかって思うのです。お互いに信頼しつつも個々の責任に任されているようで、気持ちがシャンとします。
そして世代を通じて「私の街に流れる川」として愛され、この街への誇りが日々の生活のなかに無理なく、意識せずとも息づいているのでしょう。
80年代、盛岡市では全国に先駆けて景観づくりがはじまり、厳しく規制するのではなく”あえて条例を作らず”に「話し合い」で進められ、「盛岡方式」と言われたそうです。ここに「盛岡らしさ」が感じられます。
しかしこれがアダとなり、バブル期には景観を無視した高層建築が増えてしまいます。実際歩いていても「盛岡を知らない」大手ゼネコンによるマンションが多く目につきました。
昨年、「盛岡方式」を継承しつつ、新たに「盛岡市景観計画」が施行され、建築工事にあたっては届け出が必要となるなど法的に厳しくなったようです。となると逆に懸念材料も出てくるとは思います*1が、次世代に自信をもって継承出来る美しい景観は、必ず実現されることでしょう。


岩手山から降り注ぐ澄んだ風と清冽な水が流れる中津川、街中に溢れる透明な光。この空気を吸い、この空気に包まれて暮らす盛岡の人々。
風土とは、その土地で暮らす人々によって日々醸し出され、つくりだされていくことを改めて感じるのです。

*1:素人考えだと、新築や改装が容易にいかなくなることで廃屋や更地が増えないのかと心配もあります。また、喫茶店で耳に入った女性の会話によると(聞いちゃってスミマセン)「市街地のマンションに引っ越したい。一軒家だと、歳取ってから買い物や雪かきとか大変だもの」…確かにと頷かざるを得ないです…