時代によって変貌する街、国立

オレンジ色のラインが入った電車に乗って国立市へ。

国立と云えば「赤い三角屋根の駅舎」だったけれど、JRの立体交差事業に伴う周辺工事により今はもう無い。しかし市側は「シンボル」として保存する計画を立てていた。
→「国立駅舎移転問題

昨今は路線ごとにどの駅も同じ顔をしていて、ホームでは駅名を見なくちゃここがどこなのかわからない始末。統一感を測ろうとするのもわかるけれど美しい造形とは云いがたく、あくまでも電車を留めるハコであり、商業施設も兼ねていてこれまた同じようなチェーン店が派手な看板をギラギラさせて並んでいる。駅舎から出なくとも買い物は事足りてしまうのだ。かといって街を歩いても、パチンコとチェーンのドラッグストアと飲食店に、細長い駐車場とマンションが並んでる同じような歯並びだ。駅舎の向こうには高層マンションが見え、駅並びにあったディスクユニオンは場所柄か品揃えがヨカッタのだけど、無くなってしまった。

とはいえここは並木道も美しい学生街。大通りから一本入ると、敷地の広い住宅があるゆったりとした街並。

音大があるのでクラシックレコードの専門店もある。積み重ねた時代の雰囲気を保ったままの店舗はまだ残っているようだった。

大通りを南下していくと広い敷地の団地があった。近くの大学生が運営するコミュニティスペースなどの試みがみられ、一時的ではなく地域に根付いているようだった。大学と街が結びつく国立だからこそだろう。

南武線谷保駅に着く。こじんまりとした駅舎の向こうへ進み、車の往来が激しい道路を超える。これ、甲州街道なのね!新宿あたりの印象が強いだけに、ここまで来たんだなあと妙な感慨が。。。ここの交差点の標識の「谷保」のアルファベット表記が上から張り替えてあったので、なんでだろと思っていたところ、
「谷保は『やぼ』(YABO)と呼ばれていたが、南武鉄道(現:JR南武線)が駅を作る際に『やぼ』が「野暮」に聞こえると『やほ』と名付けたらしく、それが定着して今に至った」という冗談のような話しみたい(wikiより)。

甲州街道を渡ると鳥居があり、谷保天満宮へ。903年創建と古い歴史を持つこの神社の参道は下り坂になっていて、まわりは木が茂り自然の地形をうまく利用しているようだった。放し飼いの鶏がいるのにも驚き・・・。更に驚いたことにこの参道は後からつくられたもので、江戸時代に境内の裏の崖の上に甲州街道が通ることになったため、崖を切り崩して(!)参道を新たにつくり、こちらが「表」になったのだそう。そんなことって可能なのね…。
湧き水も流れる境内から本来の鳥居を抜けると住宅が続き、その先には畑が広がっていた。生産者のかたがトラックで通りすぎる。今も盛んな模様。水が奇麗だから野菜も美味しく実るだろう。広々とした田畑の向こうにはバイパスが通り、ロードサイドなチェーン店の看板が並んでいた。
農村地域である谷保の集落の北側の広がる武蔵野台地に、西武グループの創業者である堤康次郎が大正時代に分譲住宅地として開発し、学園都市として大学を誘致して駅を開設したのが国立(「国分寺」と「立川」の間)、なわけですが、国立駅から谷保駅甲州街道を超えて天満宮のあたりまで歩いたことで、変遷を眼と足で実感する。
時代の流れにより街も変わる。その時代に起こった「ちょっとしたこと」がその後の街をがらりと変えてしまうスイッチになる。今また変わりゆくスイッチが押されたように思えるけれど、どのような街並に変わっていくのだろうか。