Boyhood

6才のボクが、大人になるまで。」なんてあまりにも無粋な邦題に呆れるばかり(カタカナと句読点の使い方のセンスが古過ぎて泣ける・・・)ですが、珍しく公開初日に新宿武蔵野館へ。映画としては長い165分もの時の間に、人が過ごしたたった12年されど12年が凝縮されていて、贅沢でささやかな作品だった。全く飽きることがなく、ラストもこの先へ続いていく人生の一瞬が何気なくも鮮明に映し出されていて、大好きだなあ。是枝監督が見終わった瞬間「くやしいな」と思ったという話も頷ける。


日々のなかでふと、昔の記憶の奥底の一場面がぶわっと立ち上がってくることがある。別段衝撃的な過去ではないし、今と関連性もなく、何故いま思い出したのか不思議なほどのヒトコマが多いのだけれど、きっとその感覚が確かに刻まれていて、そういう瞬間こそが私をつくったのだと思う。「boyhood」はまさにそんな映画だった。
「Before」シリーズ同様に、リチャード・リンクレイターは時の流れを用意周到に線だけ引いて、会話や小物で表現する。だから会話から、親子関係や友人関係、彼らが住む街住む国がとてもよくわかるし、だからこの小物が周囲にあることがわかる。そういうところが楽しい。こういうセンスを身につけて表現できる役者の力量と関係性あってだろう。
iMacがこれみよがしに映るけど、当時の「こ、これは…!」って衝撃を感じる。撮っておかねばとでもいうような。とはいえあくまでも暮らしのヒトコマに入り込んで、そこにある。オバマへの熱狂だとかもね。
母親に急かされて慌てて家を出るときに2階にいた男の子と女の子の眼差しが忘れられない。そのあとのことはわからない。いろんなことが起こるけれどドラマチックに盛り立てることはない。誰かと出会い、そして別れる、いつだって突然に。ただ交わした言葉や感覚だけが残るのだ。
過去を振り返ればターニングポイントに気づくけれど、オンタイムでは押さえておくべきことには気づけない。そういう意味で残酷な映画でもある。
「ボク」の成長譚であるけれど、身につまされるのは父母の変化だなあ。二人の生き方はアメリカ郊外に生まれ暮らしたこの世代の一片だ。パトリシア・アークエットイーサン・ホークって配役が「俺たちの・・・!」感増強(彼らは歳上です、念のため←なんのためだ)。


音楽もポイントなのはリンクレイターならではだけど、自分のセレクトではなく、その時々を代表する楽曲を複数名の音楽関係者に聞いてピックアップしたらしい(何かの記事で読んだのですがソース元が不明でごめんなさい)。
Coldplayの「yellow」で始まったので、自分の生活でもこの曲が鳴っていた時期を思い出して愕然とする。Sheryl Crowの曲は買ってはないけど矢鱈かかってたよなあとか。The Flaming Lipsは “Do You Realize”に至っちゃうとホント好きじゃないんだよねえとか思いつつ、「あーーー!この12年、この辺の楽曲を意識して聞いてなかったんだな」と気づいた。なんとなくアレですよねと思ったりもするけど、体が反応しないのだ。そういう意味でも「ゼロ年代と音楽と私」なことを考えちゃったりもする。
それはそうと、こういう昔ヤンチャでチャラかったですな風貌で音楽やってるカッコイイオジさまいるよねえと思ってたら、チャーリー・セクストンだったと後で知ってびっくりしました。そしてイーサン・ホークの軽妙洒脱さが今、過去最大級に好きです・・・


映画の感想が何本も溜まっていて、いちおう映画館で見たものは良きも悪しも記録として書き留める所存。