恵比寿映像祭 ~ 三宅唱《無言日記/201466》――どこの誰のものでもない映画

恵比寿映像祭の話を引き続き。今回日仏会館で上映された「無言日記」は、三宅唱監督がboidマガジンで月イチ連載中の「2014年1月から12月までの1年間ほぼ毎日、iPhoneの動画撮影機能のみを使用し、日々の記録として撮影・編集した作品」が元になっています。毎月5分ほどPCの小さな画面で見た映像が繋がって、1本の映画としてスクリーンで上映するとどうなるのかな?と興味津々でした。
これがすーごく面白かった!そしてすごかった! 66分、ずっとワクワクしながら見続けてスッと終わると同時に不思議な高揚感。私は始終ニコニコしながらスクリーンを見つめていたはず。
日々の暮らしがパッパッと過ぎていく。瞬間しかそこには無いし、わたしたちは気が付かずに忘れていく。そうやって生きていく。
けれど。歩く道は同じでも、毎日違うのだ。通り過ぎる人も風も光も。日々の記録として続けていくことで豊潤な記録となり、作品に昇華するんだなあ。象徴的な映画館3つ閉館、大雪、ワールドカップなど昨年だからこその事象もあって。このタイミングってスゴイな・・・

その日々の風景も、何がその人の目に映っているか、更に脳と心が何をどう捉えているのか。そんなことを考えると哲学的な問答になってしまうけれど、映像としてフレームにどう納め、どう繋げていくか。そこには監督としての力量とセンスが表れる。ひとつひとつのショットはけっしてキメキメではないけれど、とても「映画」だった。
実はわたしは「Playback」にはあまりノレなかった。キメキメな画には映画的知性ばかりが浮かんでいて、中年男の悲喜こもごもな「年輪」が感じられなかったから。でも今作は監督の日常ということもあって歳相応(illなヒップホップのライブが多数あることにわたしゃ、世代差を感じたわよ。)の佇まいがあり、尚且つユーモアもあって、血が通っていると感じたのでした。

ところでそもそも「無言日記」を始めたキッカケは、boidの樋口さんがマガジンで連載するにあたってこの手法を勧めたとのこと。副題の「どこの誰のものでもない映画」は樋口さん命名だそう。瀬田なつき監督もそうだけど、やっぱり目利きたる先人がいるからこそ文化が繋がっていくのではないだろうか。
以前記したことがあるんだけど、瀬田なつき三宅唱森岡龍の三監督によるオムニバスで、オリンピック開催までに変貌する東京の街を描いた映画を是非製作してほしい。主演は勿論、染谷将太で。


恵比寿映像祭は試行錯誤の連続だろうけれど、東京都の文化事業として今後もきちんと続いていくことを願っています。
そして恵比寿ガーデンプレイスにはもうすぐガーデンシネマが帰ってくる!

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