溺れるナイフ

「5つ数えれば君の夢」で書いた感想を大々的に引用すると

「どう表現するか」ということにおいて、サブカルメインカルチャーである時代に、岩井俊二椎名林檎エヴァが多数派である時代に、自意識過剰がスタンダードな時代に、自我が育った人なのだなあとメンドクサイことを素直に思いながら、すっかり年寄りな弱々しいまなざしで、シネマライズのスクリーンのキラキラを見つめてた。

恐らくは子供の頃からひとりでうにうに考えることを好んでいた人が、なぜ映画というたくさんの人とお金を巻き込んでつくることをはじめたのだろうと不思議だったけれど、教室の机の下でこそっと楽しげにステップ踏んでた少女がたくさんの人が集う体育館いっぱいに踊り舞う美しく強靭な姿と、それを祝福するように暗闇からこぼれる光を見たら、ああこれこそが彼女の強い意志と決意表明なのだとぐっと見入ってしまった。

商業映画をやるうえでスタッフに恵まれているのはそうさせることの出来る、賢さ故の天然さを持つ確信犯な彼女の器量なのだろう。ある意味で「映画自体に思い入れが無い」ことが彼女にとっても回りにとっても、稀有な救いなのではないだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/mikk/20140319/p1

を、今回もそのまま使いまわし出来るってところが、山戸結希監督の凄さだな。
この数年来、10代の女の子がキャーッと悶えることの出来る恋愛映画が何本も公開される中で起用されたのだし、キッチリと要望に応えつつ、本来の自分のテイストも反映し、これまでの作品には見られなかった演出をも施しているのは見事なのだろう。言葉が立ちすぎていた旧作に比べると、生々しい演技を引き出したシーンが多いことに驚いた。

但し、異型のままでいられることはなく「商業映画」たるセオリーにはめられたようで、ちょっと残念な気持ち。もっともっと突き進んで欲しかった。こちらをポカーンとさせて欲しかった。感情がパーン!と瑞々しくも儚くヒリヒリと弾ける女の子の自我の躍動とワケワカラナイ衝動が消え、その代わりに男の子のキラキラした輝きをオーダー通りにきちんとわかりやすく収めることでティーン向け多数派向けになった、その意味では成功だろうけれど*1
映像や劇伴に刻まれるリズムがイビツなのと、随所(特にラスト)で古臭く感じるのは敢えてというか、私の歳故なの…だろな。80年代のアイドル映画っぽくもある。市川実和子小松菜奈の母親役であることに震えるのは、こういう反応待ちですよねというナナメの気持ちで落ち着かせるしかないし、大友役の子はいいキャラねえと思いつつ、J事務所の人たちは巧いんだけど、コミカル演技の傾向が似てませんか?と思えてならない。それと前作同様、役者として起用されるミュージシャンのテンプレートな佇まいと楽曲が苦手・・・


新宿や渋谷のシネコンだと女子高生がキャッキャと眩しそうだったので、私鉄沿線のシネコンのレイトで見たのは正解でした。

*1:見ながら「瀬田なつき監督はちょっと早かったんだろうなあ。2011年の商業映画デビューの原作が「角川のラノベ」だし、相手役のそめたにくんはその後大ブレイクだし。」と思えてしまった。