映画、カレー、散歩、焼き菓子、もひとつ映画の日。

日曜日は朝からひとりだった。開店直後の焼き菓子屋でレモンケーキを買い、新宿武蔵野館へ。リニューアル後初めて来た。シックな内装になっていて驚いた。上映前にさっき買ったお菓子食べて、「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」サイコーだった。1980年のアメリカ。主人公が進学した大学の、野球部の寮にやってきて授業が始まるまでのたった3日間のバカ騒ぎを描く、ただそれだけ。高校生でも大学生でもない、何者でもなく、いつか何者かになっていく未知数に溢れた若さゆえの、ダラダラ続くアホでアホでアホすぎる時間のあいまに、ふっと入り込むささやかで大きな瞬間。ああ、もはや遥か遠くにあるそれらが今に繋がっているのだ。リチャード・リンクレイターのこんな描き方が大好きだ。  


劇場を出ると昼時間。移動してカレー。相変わらず不器用で要領の悪さは人柄のよさと一生懸命さの表れであって、いい店だなあと思う。おいしい。それから高円寺から歩きはじめて、入り組んだ住宅街の路地をテクテク。杉並から中野区へ入ると、あ、中野区だなって思うこの感じはなんだろな。公園の木々は黄色くなり、地面に絨毯を引くようになってきた。哲学堂を抜けて、東長崎でちょっと休憩、ミントティ。新しく出来た店、イマドキなオシャレさありつつ適当なトコが良い。もすこし歩いて商店街のカドッコの小さい店内、並んでるビスケットたちは地味だけどとてもいい顔をしていた。散歩のゴールは新桜台駅。好きなもの詰め込んで住宅街を自由につたつた歩く道のりは楽しい。あたたかくて上着いらなかった。


気分もよかったので、もう一本映画見ることにした。一日に2本なんて久しぶり!上映開始5分前に滑り込み、「この世界の片隅に」。実際の状況を時間を掛けて徹底的に調べ上げ、すずさんが日々のなかで見た風景や物事、聞いた音を詳細に描いて積み重ねることで、私たちが暮らす今と地続きなのだと静かに胸に迫ってくる。ドラマチックに盛りたてることなく、コミカルに、リアルでもやわらかなタッチで、戦争下も淡々と綴られる。ささやかな愛おしさに得体の知れない恐ろしさが侵食するけれど、暮らしは変わらず続いていくのだという描き方は事実に対して誠実だと思う。だから私たちは今、こうやって暮らしているのだ。過去を描くことは情緒に陥りがちだけど、感傷だけにならないところがよい。泣かずとも心の底がズズズとさざなみ続けている*1。それと、すずさんが「絵を描くことが好き」という設定が物語のイメージを膨らませていて、空襲のリアリティある表現に「こんなとき、絵具があれば・・」とすずさんの空想を挟むことに、監督の製作者としての矜持を感じるのだ。


朝「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」見て、カレー食べて散歩して途中でお菓子買ったりしてから夕方「この世界の片隅に」を見たのは、どちらにものんびりとだらりと仲間たちと過ごした「時間」が描かれていて、私のこころに彼らが息づいていて、ナイス2本立てだと思うのですよ、無茶なこじつけとわかりつつ敢えて記すけれど。

*1:余談:先日のNHK特番で宮崎駿が「ストーリーで好きになったのではなく、ワンショットを見た瞬間に『これはすばらしい』って、それが映画だと思っているから」と言ったことにすごく納得した。「風立ちぬ」を見終わって劇場を出た瞬間にドッと号泣したことを思い出す。訳分からない涙だったけど、あれはストーリーに対してではなく「絵」その運動に泣けたのだった。