「坂倉準三のアンスティチュ・フランセ東京と巨匠の足跡」

倉方俊輔さん解説によるモダン建築トークツアー。四ツ谷駅出発で界隈に佇む名建築を辿るのですが、「散歩途中で見る」とは当然ながら異なり、素晴らしいひとときでした。

倉方さんの豊富な知識は先人への敬意に満ち、的確なキーワードを散りばめてわかりやすく、気づきがたくさんありました。淀み無くユーモアある語り口には後世への希望を込めた姿勢が感じられ、背筋が伸びる気分。単なる「建築物鑑賞」ではなく、歴史背景と文脈を持って広い視点且つ細やかな部分まで見入って知ることは、未来につながるのだなあ。

以下長々と綴ります。メモに記した箇所と記憶に留めたことを混在して記述するので誤りがあるかもしれません。気づかれた方はお知らせください。



まずは四ツ谷駅近くの《喫茶ロン》。

それこそ20年以上前から幾度か喫茶店として伺ったことのあるところ。当時は建築としての視点で見たわけではないから、新鮮!(ちなみにその後の純喫茶ブームを経て、昨今はIGによるタマゴサンドブームが勃発しているそう……シーン……)本日は定休日ですが特別に見学させてくださいました。お隣に事務所を構えていた高橋靗一(ていいち)の設計と一般的に云われていますが、倉方さんの調査に拠ると彼に師事した池田勝也の作品で、1969年建築だそう。所謂レトロな喫茶店は「落ち着く居心地の良さ」がありますが、建築視点でこの店を捉えてみると、椅子や衝立の高さがぴったり収まっており、通路も狭すぎず広すぎず店として使うにちょうど良い幅で取られています。これは設計は通常外観のみですが、内装に至るまで手掛けられた故。絶妙な「とじこもり感」は、採光や天井高に加え調度品まで「人間工学」を計算し緻密に考慮された産物であることにグッときました。またモダニズム建築は「手数は少なく効果は大きく」が基本で、螺旋階段などにこういった考えが反映されています。




2階もある店内は常連さんによってお気に入りの席があるそう。

階段が美しい造形だったなあ。螺旋の芯柱は天井に突き抜けておらず、建物ではなくあくまでも階段の機能のひとつであること。

丸い穴がたくさん空いているものはスピーカーで、なんと現役!上は空調。組み込んでしまうのがなるほど


その後四ツ谷駅向こうにある「ル・コルビュジエも訪ねた前川國男設計事務所《MIDビル》」を見るはずが、既に解体されていた……。このあたりの建築物をいとも簡単に壊してしまうのが今の日本なのですよね。。。


さて市ヶ谷駅に移動。

《法政大学55/58年館》は解体中。大江宏による設計で、その名の通り「1955/58年」竣工。裏側からの鑑賞で、大きなスロープが印象的。これは採光とともに移動という機能が考慮されています。もはや見れませんが、正面とは表情が異なっているのもポイント。窓枠とスロープとの線の組み合わせが美しい。遠目でもコンクリートの美しさが際立ってわかる。剥落すらない。そういえば同じころに完成した丹下健三香川県庁もコンクリートによる面が美しかったなあ。このころの施工の力の入れ方が伺えます。こんな歴史的な建築もビジネス優先であっけなく解体、無かったことにしちゃうのだものねえ。


このすぐ近くにはかつて山田守による設計の東京逓信病院がありました。既に建て替えられています。山田守は各地の逓信病院を手掛けましたが、「逓信」とは当時の最先端だったわけで、斬新な建築が求められたそうです。このあと向かうアンスティチュ・フランセ東京も含めて、界隈は優れた建築物が並んでいた場所であるという地域性を考えるのも面白い。


外堀通りを歩いていると倉方さんが「ちょっとここ寄ろう」と路地に入りました。生け花の龍生派の本部、《龍生会館》があり立派な建物でしたが、倉方さんが見せたかったのは建替前のもの。特に有名な建築ではなかったが偶然見つけて取り上げた経緯あるそうで、以前書かれたブログを見つけました。(→ http://kntkyk.blog24.fc2.com/blog-entry-90.html) 龍生派のサイトには内部写真も。(→ http://ryuseiha.exblog.jp/11221305/)これは確かに驚愕の造形。


さて本日のメインイベント。

1951年開館の《アンスティチュ・フランセ東京》、旧東京日仏学院と呼んだほうが馴染みます。それこそ何度も映画を見に来た場所で(現在カイエ・デュ・シネマ週間!)、坂倉準三の設計であることも知ってはいましたが、晴れて建築目線で深く見学出来ました。

この空間、大好き。気持ち良いなあ。

文化施設としてたくさんの人々が長年使用し、名称変更後に若干改装したと思うけれど、教室内にペインティングをしたり、空調用の配管を通すために二重天井にすることでマッシュルームコラムな柱の造形美を損なわないようにするなど、「建築の活かし方がフランスらしい」との倉方さんの言葉に納得。


バルコニーの手すりも愛らしい。あと、後付の配管がバルコニーの床に這わせてあったのも見えないようにした配慮かなあ。日本だとすぐ壁面に這わせるでしょ。

ステンドグラス、モダンなデザイン。


この張り出しが素敵だなあ。一階はピロティになっていて、耐震補強をしてありました。


光の塔。この中は螺旋階段になっているのです。

うっとりする・・・



見上げると・・・


更にこの螺旋階段は会津の栄螺堂のような二重構造になっている!

外観の小口に青いタイルを貼ったり、階段の手摺の婉曲具合などからは「機能的」な考えは見えません。これには板倉は元々東大で美術史学科学んだ後、建築家を志してフランスに渡ったという経歴であり、コルビュジエに師事したもののモダニズムに囚われない発想を持っていたからだとの視点が印象的でした。

建築ひとつとっても、建築学という知識だけで構築するのではなく、あらゆる視点と知識から捉えることは、単純な決めつけ方をしないことにも繋がってくるし、そういう意識を常に持っていたいなと思わされました。


【最後に】
ある建築家が、この時代/この地に/この建築物を何故建てたのか。
建物は長年に渡って景色を作り出すから、その街に暮らし行き交う人々の心を無意識に作り出すと思っています。建築物には時代の流行りが濃厚に反映されるし、建築主の意志が公共の場にダダ漏れなわけで、その建物が在る景色が否応無しに共通認識として人々に刻まれてしまう。それってある意味暴力的。だから建築士はとても責任ある仕事だと、素人目に思うのです。
建築は感覚と理論が共存して成り立つものであるし、経済や世相といった時代背景とも密接に絡んでいます。だからこそ、どちらかだけの感情や理論で割り切れるものではないのでしょう。

建築物とどう付き合っていくかは未来を作る。その点で今回見させていただいた、喫茶ロン・法政大学55年館・旧東京日仏学院には「それぞれの立場」での「在り方」が見えました。
ビジネスの視点で次々と建築が解体され、街並みが変貌していく昨今ですが、自分が暮らす街にどんな建築物が生きているかを意識的に知ることは自分の生き方にも繋がっていくのだと、改めて気付かされました。