20センチュリー・ウーマン

公式サイト右隅にこっそりある” http://1979.fm/ ”、プレイリストがとっても楽しいので、これ聴きながら読んでいただけるとうれしいです。


母との会話の中で母の若い頃の姿をふと垣間見たときの、祖父の若かりし日の写真を思いがけず見つけたときの、私の知らない姿と風景が目に浮かんで今に繋がったことを思い出した。
マイク・ミルズの語り口、映画としての佇まいが好きだ。柔らかくてキリリとしてて、近くて遠いまなざし。更に今作は、掌の美しくも苦い記憶の断片を積み重ねると同時に、彼らが生きる時代を俯瞰的に見つめ、アメリカの「20th Century Women」を描いたことが素晴らしい。

自分の目は「自分の今」しか見ないものだ。しかしマイク・ミルズは優しく教えてくれる。自分の今は自分が生まれる前から続いていて未来へ向かっているのだということを、自分の暮らし方は時代とリンクしているということを。マクロな視点とミクロな視点を行き交う、パワーズ・オブ・テン。


1979年のサンタバーバラが舞台。マイク・ミルズ曰く「NYパンクがちょっと遅れて入ってくる」土地柄で語られる1979年という年は、世界情勢における分岐点であり現在に至るはじまりだ。あれやこれや、今思えばね。
レインコーツに始まって、当時部屋で鳴っていたであろう曲が彼らの後ろで鳴り続ける。「10代の頃に聞いていたら楽になれたと思う曲だから、今聴いてくれれば私よりずっと幸せな人になれるわ」という言葉の持つ重みに泣いた。と同時に鳴っているのが「あの曲」で、イントロのふわりとした音像だけでもうボロボロと泣いた。そして私のあの頃を思い出して泣いた。更にこういった音楽を母親目線でも描いたところが秀逸で、繊細で大胆な描き方に胸が熱くなりまた泣いた。


私たちは結局のところ理解できないし全ての表情を見ることはできない、”だけど”ね。という思わず口ごもるけれど大切な気持ちをきちんとすくい取り、光を柔らかに照らしてくれる誠実さが素晴らしいし、パーソナルな想いがたくさんのひとたちの協力を経てかたちになって、日本でロードショー公開されてほんとうに嬉しい。映画とはリレーで渡される手紙みたいだなあ。


マイク・ミルズのように、”いまこの瞬間”と”知らない昔”と”知ることはない未来”を行ったり来たりして、思考していきたい。いまこの瞬間だって知らないことばかりで、何をどう知るか、その上でどう考え何をするかが未来に繋がるのだ。何十年か後、私は2017年についてどんなことを思い返すのだろうか。


サテハテそれにしてもこの映画をシネコンで見たことが、なんとも「2017年」なのだよなあ。私は未だに気持ちだけ90年代の渋谷にいる亡霊なので(うわ)、シネセゾンで見て泣きながら階段をテクテク降りて外に出て、パルコブックセンターとWAVEクワトロ店とHMVとシスコオルタナ店寄って帰るんだ……(自分で書きながら震えてる) 


そうそう、以前読んだインタビューでの言葉がめちゃくちゃ良かったのでした。ここにもう一度。

・記憶にピュアなものなんてなくて、事実というものもない。そしてそこに何か甘苦くて美しいと感じるものがあると思っています。
・母がセーラムのタバコを吸ってビルケンシュトックのサンダルを履いていたとか。そんな意味のないような細かいところをしっかりさせていくということ、それには何かとても深いものがある気がします

「記憶を映画へ」→ http://d.hatena.ne.jp/mikk/20170110/p1