描き続けること

いつも以上に自分メモとしての記録です。先日のこと。とある展覧会へ。新作展ではなく、これまでの作品が一同に介する場は思えば初めてだった。広いスペースに飾られる作品はいつもよりも大きな呼吸をしていたかもしれない。鮮やかな色彩と伸びやかな線に対峙するとパワーを貰える。なのに90年代の作品の力強さには涙が滲んでしまったのは、当時の日々がフィードバックしてきたからだ。ゼロ年代に入ってからの作品は描線が細くなり色彩の光の強さが消えるのだけど、新作ではその変移を踏まえたうえで、新しい世界が描かれていたことにスッと背筋が伸びた。版画も綴られた文章も素敵だったなあ。
その後の講演会も参加した。画家人生を語る言葉には続けてきた意志の強さゆえの明確さがあり、絵を描くことが好きなのだという気持ちが伝わってきた。それは作品から受ける印象そのままで、胸に痛切に突き刺さるからか聞きながら何度も涙が溢れてきてはハンカチで拭ってしまった。
以下、メモ書きとして一部ここに残します。
・子供の頃から絵を描く人になりたかった。絵を描いていれば幸せだった。
・絵というものは一生かけて掴むものと思っていたから、芸大時代も他の人と違って焦っていなく、自分のペースでやっていた。”ああいう作家になりたい”と漠然としたものはあったけれど、一生かけて近づくものだと思っていた。やり続けることはずっと自覚している。
・エジプトで見た景色はまさに目から鱗が落ちたようだった。自然との在り方を学び、自分にとっての生涯のテーマと出逢った。
・思い込みでも錯覚でもこれが自分のテーマだというものがあるのは幸せ。
・(90年代半ばの麻布に描いた作品に関して)絵の具は立派なので描くときには描く体制が必要になってしまう。しかし、講師をしていた大学の授業で生徒がしていたのを見て、安い麻布に膠だけ塗って麻布の地を活かして描く、こういうキャンバスでいいじゃないかと。
・00年代に入ると立て続けに親族が死去し大変だった。生活がリアルになって、絵も遠景から近景になった。
・でも一度筆を置いてしまったらもう一度始めるのは不安だから、とにかくやめずに続けていく、そうすれば絵というものに到達できる。とはいえこの頃は色彩に疲れてしまった。
・2012年の作品は、麻布の地の部分から何か描けないかと考えて、地の部分を描線として残すように色を塗るようにしてみたところ、「ネガの手(掌を置いて周りを塗ると、掌の部分が白く残る)と一緒だ」と気づいたのが始まりで、気づいたときはパアッと閃いた感じで嬉しかった。
・版画摺り師の方いわく「悩まないと作品じゃないと思っていない?楽しいと思って描いたものでないと、見ている人は楽しくないよ」