今年の音甘映画館 【映像編】

この2年ほどの懸念が更に進行、今年はこの作品を見るために時間を使おうと思うことがほぼ無くなった。会社帰りは勿論、会社を時間休み取ったり、土曜日の数時間を使って、映画館で過ごす選択をしなかった。ちょっと見ようと思っても、まあいいか……となるのだった。そんな僅かな割合で見ることにした作品なので腹ただしいものはなく、良いものばかりだった。なかでもこの3本を。


■「未来よこんにちは」
>誰かと話したときの何気ない言葉、歩いたときのリズム、聞こえてきたメロディ、眩しくて見上げた太陽の光、頬をなでた風。そういった僅かな形跡がいつかの未来をつくる。 http://d.hatena.ne.jp/mikk/20170402/p1


■「 20センチュリー・ウーマン
マイク・ミルズのように、”いまこの瞬間”と”知らない昔”と”知ることはない未来”を行ったり来たりして、思考していきたい。いまこの瞬間だって知らないことばかりで、何をどう知るか、その上でどう考え何をするかが未来に繋がるのだ。 http://d.hatena.ne.jp/mikk/20170617/p1


■「パターソン」
>何気ない日々には不穏なひっかかりが小石のように転がっていた。そんな想いを抱えながらたどり着いたラストの、諦念と同居する不思議な清々しさったら。滲みるような、解放されるような。ああ!  http://d.hatena.ne.jp/mikk/20171018/p1


引用文は鑑賞当時記した感想だけど、こうしてまとめると、今年の自分の地点が伺えるような気がする。


旧作としては「牯嶺街少年殺人事件」を挙げなければならない。まさかの再上映、まさかのデジタルリマスター。もう劇場では見ること出来ないと思っていたし、鑑賞する体力は無いと思っていた。4時間という上映時間は劇場側でもスケジュール組むの難しそうで、私としても会社終わってすぐはツライし、この劇場は見づらいしと散々考えて、ようやっと見に行ったのだった。鑑賞後は言葉を吐き出したくて仕方がない衝動には駆られず、4時間みっちり心の中に積み重なった充足感でいっぱいになった。複雑な人間関係と心の行方は複雑な社会情勢とその行方でもあり、ストーリーも演出も本来の構築としては数回見ないと完全に理解していないことは確実だけど、今も鮮明に思い出せるシーンの数々と声にならない慟哭。今あらためて見ると光と闇はこんなにもくっきりと映し出されれていたのだなあ。チャン・チェンがその後再びエドワード・ヤンにより「カップルズ」で主演したとき嬉しかったし、成長したねえと親戚のおばさん目線だったよね。。。現在地方都市でも上映されるほどの状況になったことが喜ばしいし、次の世代に繋がるなにかになるといいなと思う。