あの頃の私を描くこと

映画を見ることが出来るくらいの状態になったところで、続々気になる新作が公開されて(実のところ名画座でも素敵企画が目白押しなのだけど)、よしッとまた映画を見に行った。グレタ・ガーウィグ監督作「レディ・バード」だ。この如何にもな情報量を持つ映画の上映館が、都心では「六本木ヒルズ」「日比谷シャンテ」あたりというのは、なかなか現在の日本の映画興行事情を考えさせられる。ヤダなーと思いながら、再開発で更にごちゃついてる渋谷駅からバスに乗って六本木に行った。
ゴーストワールド」「ジュノ」「ローラーガールズ・ダイアリー」そして「レディ・バード」・・・青春映画の主人公の女の子は”クラスでちょっと浮いている”存在だけど、必ず親友がいる。ひとりぼっちではない。自分を振り返ると自意識過剰で諸々ひどかったから、いつも行動を共にしたり長時間お喋りするような親友はいなかった。だから、自意識過剰故にトラブルを起こしながらも親友がいるなんて、よいなあと思う。
母娘の物語でいえば我が家は未だにこじれているし、故郷に帰るのはなるべく避けたいし、車の免許は持つ気無いし、そういった意味で「これはかつてのわたしだ」的共感は一切なく流れていった。とはいえ、昨今では短い部類の90分という尺でコンパクトに切りながら、時代背景を丁寧に記すことで登場人物の立場に説得力を持たせ、心の機微をぎゅっと描いていて、見事だった。自伝的要素があるとのことで、趣味嗜好をついつい過剰に盛り込みがちなのに極めて普遍的な語り口。グレタ・ガーヴィグは聡明な人だなあ。こういう描き方はもしかすると2010年代後半の時代性もあるのかな。そして「フランシス・ハ」同様に『自分の名前』についての、映画だった。帰りは渋谷まで歩いたけれど、ヴィヴァンは思い出さなかった。


この何日かでUPされるたびに震えながら読んでいるのは、ヨシノモモコさんの「1991年から92年にかけて東京の郊外で起こったこと、そしてその後の沼について」だ。(https://note.mu/15minspf)こちらも「あの頃」の話なのだけど、心の奥底に手を突っ込んで引っ張り出した喜びや辛さやいろんな感情がまとわりついたものを、冷静に綴っていて、2014年ベストに挙げた「Momo-Sei / umareta」(http://d.hatena.ne.jp/mikk/20141231/p1)を聴いたときの、”からだのなかからハッと動き出す”感覚は「正直な音」だからこそ生まれたものなんだなと思える。


「私のあの頃」を思い出しても破片ばかりだ。そして、このところつらつら頭に浮かんでいる感情もかたちとして言葉に出来ずにいる。