retro-now-future

昨日と今日見た展示は、2018年に立ちながらいつかといつかを行ったり来たりしたような気分になった。

■ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ


熱波を浴びながら朝イチで会場へ入ると目に映るデザインワークに、気恥ずかしさでいっぱいになる。それは過去の自分と直結しているからで、あーうー。ヘッド博士のジャケを一面使った壁面に、こっちの壁はポスター、あちらはCD、とにかくドーンドーンと並べられ、特に説明や時代背景など無く、「見た」ことで伝わるでしょ?と言いたげで、奥とか裏に短冊やら小枝やらKaヒミ様(今更伏せ字にする意味なし)やらがある構成も何かありそうでなさそうな感じ。CDの各ミュージシャンのバストショット写真の雰囲気が見事に統一されてるのは興味深かったし、「とりあえず信藤三雄ワークで!」感と「ミュージシャン本人の素養が伝わる」感との違いも面白かった。

この、左のポスター。カメラトークのときの。実家の部屋に貼ったまま上京した私も悪いが、あるとき帰省したらその前に本棚が移動されていて、ぎゃー!本棚どかさないと……。
そこへ偶然な出来事もあったりで、気恥ずかしさが更に倍になりながら、懐かしあるあるトークをして会場を出た。

にしても何故、今、この企画が実現したのだろうか。今まで話があったのか、ご本人の本意はわからないけれど、いろんな意味で時が経ったことに尽きるのだろう。とはいえ、岡崎京子展キッカケのようだけど、世田谷文学館での開催で、デザイン面での語り口を意図的に排除したような構成というのは、デザインの展示としては直球ではない。あの頃を回顧するならば、物販はレコ屋風にするとか併設カフェをアプレミディ風にするとか、わかりやすい企画は素人でも思いつくわけですが、まあそれはちょっと恥ずかしいよね……。ミスチルのジャケワークに反応してる人もいたので、そうですよね、そっちのがマジョリティですよね……。

gggで影響を受けた物と並べつつとか、印刷博物館で80年代後半からの印刷/デザインの技術的な変遷を見せつつとか、渋谷パルコ解体前に全館使って音・ファッション・書籍・カフェ絡めた世界観でやってほしかったなーとか、勝手なことを思うけど、区施設だからアレコレ難しいし、サラリとやってしまうというところなのでしょうか。
ただ、田舎→東京でオンタイムで過ごした身には「渋谷系とは」といえば、信藤三雄さんのデザインワーク要素の偉大さを痛感するところなので、客観的に整理してほしいと思っています。

同年代ばかりだねーなんて言ってたわけですが、その後「肩が痛い…」と言い出したY氏が我慢出来ず整骨院へという、なんとも初老感満載な日であった。医者嫌いなのに自ら整骨院行くとは、よほどの痛み、嗚呼50肩……。

■ AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ

小山田圭吾Cornelius)が展覧会のために書き下ろした新曲『AUDIO ARCHITECTURE』を、気鋭の作家たちがそれぞれの視点から解釈し、映像作品を制作

するという企画。

50肩のため欠席のY氏を置いて、今日もまた熱波の中溺れるように館内に入ると聞こえてきたコーネリサウンドに、昂ぶる!
全身で浴びた音と映像。シンプルな演奏風景の映像も匙加減でこんなにカッコイイ。いくつもの作家のなかではユーフラテスの映像が好みだなあ。裏で見た仕掛けにも痺れた。SPECTRUM的な。
”ひとつの楽曲と複数の映像作品を繰り返し再生することで、「音楽建築空間」の構築を試み”る企画で、楽曲自体はリミックスせずそのままなのでとにかく繰り返し聴くのだけど、飽きないサウンドのシンプルな強さもすごい。ひいやりさが安藤建築と良く合う展示だった。

”AUDIO ARCHITECTURE”とは、雑誌対談で語ったショーン・レノンの言葉がキッカケとのことですが、建築と音楽、それこそクセナキスのような人もいるわけだけど小山田くんに結びつくとは、なあ。詳しくない私が記すのもおこがましいけど、土台、骨組、壁面、屋根、装飾……それぞれの要素がそれだけで成り立ちながらも組み立てて完成する音楽の面白さ。勿論各要素・素材の良さも重要で。経年に耐えるコンクリート技術とか。安藤建築のなかで音楽のそういう部分を感じるなんて!
point出た以降、池田亮司となにかやらないかなーと思ってたけど、こんな展示やる日がホントに来るとはなあと感慨深い。欲を言えば音像ももっと配慮されてると面白かったかな。音圧とか配置で建築を感じたかった。
昨日に打って変わって、場所柄もあるのか、若い人も多く、時間が経つほどに人も増えてた。そういう意味で回顧よりも今!なのは健全かもなーなどど思ったり。


3連休最後の日、今年初の蝉の声を聞いた。90年代を思い出し、2018年を感じた平成最後の夏の始まり。何度も使うぞ平成最後。