企画展「ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ」関連企画 8月7日世田谷文学館にて
〈前回の続き〉牧村さんとのトークが当選したし、急遽発表されたこのトークは平日夜開演18時半だし、無理に行かなくていいかなと思っていた。牧村さんも”小山田くんとの回ではトラットリア以降を”と言っていたし。というのも当時私は、渋谷系の加速する狂騒じみたノリについて行けず、コーネリアス関連のものは積極的に買わなかった。売る側にもいたから、喧騒を客観的に見てたところもある。
なーんて斜に構えていましたが!前日の昼休みに会社でスマホをグーリグリ、なんとなくローチケを覗くと完売してたチケが復活してる!ギャーっと速攻ポチッとして、しれっと時間休を押さえ、18時に世田谷文学館へ。はい、そういうヤツですよ・・・
(この記録が多くの方々の目に止まったようで、ありがたく且つ緊張しますが、前回の牧村さんとのトークも目に止めていただければ幸いです!→ 「音楽とアートの蜜月時代〜“渋谷系”はなぜ生まれたのか」)
〈自己満足の記録として残します〉〈記述に記憶違いがあるかと思います〉〈端折った箇所もあります〉
*拝聴しながらの乱雑なメモ書きをまとめたものです、ご了承ください*
※進行役になんと、ばるぼらさん!小山田くんは白地にグラフィカルな長袖Tシャツ*1を黒スリムパンツにイン。
ばるぼら(以下、ば):(スクリーンに映る写真を見ながら)これは22年前、ラフォーレ原宿で行われたコンテムポラリー・プロダクションの展覧会のときのものですが
信藤(以下、信):全然覚えてない…
小山田(以下、小):シャツくらいしか覚えてない…
※とにかく「覚えてない」ばかりで、笑いのネタになるくらいだった。事前打ち合わせ無しのトークとのこと
信:この場まで小山田くんに会わないでおいた。トークで喋るべき内容を喋っちゃうから
※前回の牧村さんのときよりも随分クダけた雰囲気でリラックスしている印象
〈2人の出会い〉
信:フリッパーズ1stのときに岡さん*2が中目にあった事務所に連れてきた
小:プリファブのレコードがあった
信:プリファブはずっと好き。小山田くんがモッズの写真集を持ってきたんだよね。僕も好きだから、心が一緒と思った
※このくだり、ぐっとキタ……。ファーストインプレッションが素敵すぎる。恐らくは緊張気味な出会いでもお互い語らずとも”こういう人だ!”って瞬時に同じ匂いを感じ、今もその関係性が続いていることが凄すぎる
小:ホントは自分たちでやろうと思ってたけど、ベリッシマのポスターをすみやで見ていいなと思って、牧村さんに話したら確か信藤さんを知ってた
※ベリッシマのポスターを見たレコード店とは「どこ」だろうと思ってたけど「すみや」だとは!
信:岡さんが僕のことを推薦してくれたらしい*3
ば:ベリッシマのどこにピンと来たんでしょうか
小:クレプスキュールとかelとか。ヨーロッパの、写真を使ったタイポグラフィ、すごく好きで
信:僕も今でも好き。elのアートワークには影響受けた
小:レコードジャケットを作る人でその感覚が分かる人はいなかった。あれを見てそういうのをわかってくれるって思った
ば:(フリッパーズの)2人はどういう印象でしたか
信:小山田くんの、白いボタンダウンシャツの着方がかっこよかった。どうってことないんだけど、どうってことあるんだよ
小:あのころ信藤さん何歳でした?
信:40歳くらいかなあ
ば:20歳くらい離れてても話が合うんですね
信:普通に話せちゃう。音楽でもなんでも、好きなものがわかるじゃん
ば:牧村さんいわく、会って5分で談笑していたらしいです
〈フリッパーズ1st〉
小:発売日あたりで事故って3ヶ月入院して、退院してすぐ「フレンズ・アゲイン」とかのPVを撮った。「カメラ!カメラ!カメ
ラ!」のPVの後ろのダンサーにTRFの人がいるんだよね
ば:ジャケは、最初はメンバーは表に出ないはずだったと
信:いい写真が撮れたからじゃないかな
〈フリッパーズ2nd〉
※ジャケが当初案と変更されたことに触れて
小:キャンペーンで地方に行ってる間に変わってた。僕らは知らなかった
信:変わった理由は覚えてない
小:中嶋さんというデザイナーがやってたんだけど、この字(手書き英字)は信藤さんだっけ?
信:かも…しれない
※「MdN 2015年3月号」で中嶋さん談:”もっと色を派手にしたほうがとギリギリになって信藤さんが言い修正した。今のように(メール等で)至急連絡が付かず了承が取れなかったので、小山田くんが怒っていた””ギンズバーグの文字を意識しながら左手で書いた” との記事を記憶してたので、どっちだろう
信:これがカメラマンデビュー。パリでの撮影に三浦さん*4が急遽行けなくなって「カメラとフィルム渡すから撮ってきて」と言われたんだけど、それまでほぼ写真を撮ったことが無かった。エッフェル塔の下で撮ったあの写真を未だに超えられないんだよ
〈フリッパーズ3nd〉
信:立体メガネでやると面白いと思って*5 *6
小:大好き
ば:元ネタは?(※一同ゴクリ…)
信:これはアレです…忘れちゃった(※一同ズコー!)
※ばるぼらさんはコレだろうと推測するネタ元があったので本人から確定させたくて聞いたようです
小:こういうの、60〜70年代によくありますよね
信:2階の展示のパネル(3rdジャケのドットが特大パネルで展示されている)、あれちょっと強いんだよね、全体の中で。「スイートピチカート・ファイヴ」なら白地で良かったかなと思って。でも、これでよかった。記念写真の場所になってましたね
小:僕も撮りましたよ、インスタ映え的な(※一同ざわめき)
〈コーネリアス 1st〉
小:「マル シー」マークですよね
※「マル シー」マークが生まれたときの記憶が錯綜したため、客席にいた北山さん*7から声が上がったものの、よく聞き取れず。。。代わりに「MdN」誌でのインタビューを一部抜粋。”信藤さんが使ってた手帳の、スミに入っているメーカー名の「C」を見た信藤さんが「これだ!」”そこに至るまでも含めて、Tシャツがバカ売れする事態に至るシンボルマークが完成する顛末には、制作風景が鮮明に浮かぶようで、ぐっときます
信:このシングルシリーズは気に入ってる
小:僕も気に入ってる、シールのとか
信:今回の展示のDMは、金地の紙に写真が載ってるんだけど、これを思い出して作った。今はPC画面でのほうが紙よりもキレイに見えちゃう。でも金紙銀紙に印刷だと実物のほうがキレイ。全国の印刷関係者のみなさん、これからは白い紙じゃなくて、こういうことですよ
北:(アルバムジャケ写撮影地のロンドンで)フェスを見て、帰りの電車に乗る直前に誰かがカバンを忘れたんだけど、小山田くんが勇敢に走って取りに行ってくれて。そのときジャミロクワイを見たばかりだったから小山田くんのこと”ジャミロマン”って呼んだりして
※93−4年の時代の空気が濃密に漂ってくる、なあ・・こういうちょっとした話、良い!
信:そういえば「ファースト・クェスチョン・アワード」ってどういう意味?
小:なんだろう、自分でもわかんない。質問大賞?レコード大賞的な?
信:小山田くんて、頭いいんですよ、中目のゲームセンターのクイズゲームなんか全部答えられちゃうの
小:他のことは覚えてないのに、なぜこんなどうでもいいことを・・・
〈コーネリアス 2nd/3rd〉
信:僕はこれが一番好きかもしれない、アートフォームとして
小:売れば売るほど赤字になるという…ムーンウォークのカセットとか。どうやって売ったんだろう。それの極みがこのイヤホン付きの…
信:小山田くんがオレンジのMD(よく聞き取れず)をこれでやりたいと持ってきた。その年がCDが一番売れてた頃
信:小山田くんは強い人で、撮影をしてたら、上で”コワイヒトたち”が忘年会をしててこっちに降りてきた。みんなビビってたんだけど小山田くんはボソボソなにかいってて、小山田くんの眼力で退散したんだよ
小:ホントにどうでもいいことしか覚えてないですね・・・
〈Trattoria Records〉
信:この頃はよく会ってた。小山田くんは今こういうものが好きっていうのがわかって勉強になるんだよね、小山田くんはいろいろ早いから
小:あの頃、限界とかいってよく寝転がってましたよね
信:自分が一番売れてるってわかってたし、これから後は下るしか無いと思ってた。落ちぶれる感じが嫌で逆にすごく働いて、このままポックリ逝ったほうが幸せと思ってた
小:NYロケ。寒かったって記憶しかない。鳥が氷漬けになってるの。(PV見ながら)橋を歩きながら寒かった
ば:昔の映像を見るのは自分でどうですか
小:結構微妙な気持ち
ば:このPVのどのあたりが気に入ってますか
信:ロックっぽい感じ。この頃はとにかくコマ撮りに凝ってた
(初めてのPV作品を問われて)
信:カラーコピー使ったのもカメラ使ったのも映像撮ったのも、全部フリッパーズが最初か
小:デザイナーとして最初にデザインしたのは?
信:演歌のジャケット、前にいた会社のとき
小:上に、◯藤◯香のジャケあったでしょ、あれ演歌っぽい
信:演歌をオシャレにしようと・・・
小:90年代は小室さん周り以外全部やってるでしょ
※「プリンツ21 95年秋号」のインタビューで、信藤さんへの注文を問われて「昔はユーミンとピチカートとフリッパーズしか仕事なかったんじゃないかな、あんまり安請け合いをするな、と」と小山田くんが述べていたのを思い出しました。ちなみにこの誌面では「版画グランプリ展」の記事があり、その審査員に銅版画家 中林忠良氏のコメントが掲載されていることを読み返して気づき驚愕
ば:信藤さん以外としても小室さんのは、信藤さんのところにいたタイクーングラフィックスだったりしますしね
小:(トラットリア ワークスでは)ファンタズマのツアーパンフが一番狂ってる
信:今こういうことやってないな。(今多く手掛けるのは)CMかなあ。CD自体が予算無いんですよ。今は1人でPCでなんでも出来るし。コーネリアスがコンテンポラリー時代は版下で、重ねて貼ったりとか。若手が入ってきて徐々にPCになっていった
小:信藤さんは音楽を今も買ってるし、好奇心が衰えない。当時の事務所には洋書がたくさんあって、タワーブックスで毎週買ったりしてて面白かった
(ここで加齢の話になる・・・)
ば:一番最近の共同作業といえば
※これ、全然知らなかった…めっちゃ代理店仕事な……
信:ナレーション入れなかったのは小山田くんの音楽があるから。この頃ビージーズに凝ってて、ハーモニーがきれいなものが入るといいなとはオーダーした
小:全然ビージーズじゃないけど、ハーモニーは入れてます
ば:お二人は"波長"が合うんですね
信:大尊敬ですよ
小:これだけ歳上の人でこんなふうに話せる人はいない
ば:90年代の仕事でデザインに興味を持つ人が増えましたが
信:ありがたい。音楽のジャンルの人以外に好きと言われるとすごいと思う。より嬉しい。(最近CMの仕事が多いが)一般大衆に好まれるものってよくわかっていない。TVを媒体として通すと違う。音楽のデザインにはそう思わない。広告は自分に自信が持てない。カッコよくしたもので商品特性が伝わるか、一般の人に伝わるかというと。カッコいいものをつくるとは別のもの。
ば:音楽のデザインでも、ミスチルとか大衆へのものもやってたのでは
信:深海とかあれで300万枚いってたんだもんね。売れてるものはポップでなくてもいいと思ってる。別のヒネリをいれてしまう。ピチカートならカラフルなほうが届くと思っていた。コーネリアスならオマケにちょっと面白いデザイン、なんちゃってを入れたくなる。すんなりカッコよくするのではなく。小山田くんもカッコよく撮られてそのままカッコよくとは思っていないんじゃないかと
小:うん、恥ずかしい
信:展示の一番奥の写真、カッコいいんだよね。でもカッコいいんだけど大丈夫?って聞いちゃう。普通は聞かない。
※だからそのカッコいい写真の横に「小枝ちゃん」があるのか!
信:今回の展示品は全部自分の所有物(の一部)で、昔は芝浦に倉庫を借りたけど家賃もかかるしと思っていたら、岐阜の友人が倉庫を貸してくれた。まだ全然あって、どうしたらいいんだろう
小:展示は、自分がよく関わったものも全然知らないものもあって、90年代のほとんどをやってて凄いなあと
信:このまま死んでもいいって思ってやってたんだよ
小:ユーミンのカセットブック、あれめちゃめちゃカッコいい
ば:フリッパーズと出会ったときは「天国のドア」くらいですか。あの世界とフリッパーズは全然違う
小:でもその前の、フランス映画みたいな感じとスタカンのジャケの感じは似てる
ば:今後のCDのフォーマットはどうなりますか
信:CD イズ デッドな感じ?
小:でもレコードよりも時代は長いでしょ?50〜80年代がレコードで、CDは売れた枚数で行ったら流通している量が多いから無くならないんじゃないかなあ。カセットもまた復活してるし、日本ではまだCDだし。コーネリアスも新譜が10月くらいに出ます*8
《質問コーナーから抜粋》
1.ユーミンのジャケを手掛けたキッカケは、知人のカメラマンがユーミンを撮影した際に「面白い人はいないか」と聞かれ、推薦してくれた。そのときは無名だったのに事前に作品を見せることもなかった*9 *10
2.PVは曲と映像があまり寄り添わないようにしている(小山田くんは曲を作るときにはぼんやりイメージはあってもPVが具体的に浮かんでいることは無いそう)
3.今CDの初回盤に凝ろうとはしない、お金がかかるから
***以下、感想***
2時間近くも話してくださり、とても濃厚な内容でした。
◎「感覚をわかってもらえる」のって、とても大切で難しい。「ベリッシマ」のポスターを見て「クレプスキュールやelの感覚をわかってもらえると感じた」とか、「白いボタンダウンシャツの着方がどうってことないんだけどどうってことあると感じた」とか、そういうの。そういう閃光のようなものがずっと続くか消えてしまうかとか。そういうの。”どうってことないんだけど、どうってことある”って良い表現だなあ。
◎20歳も離れてても、初めて会ったときの印象がずっと続いていて、今もただただ喋っていられる。でもそこには感覚と職人気質が共通してるとか、当然お互い尊敬の念と信頼があるのだなあ。
◎センスに自信がある故に「大人には騙されない」って頑なだったであろう小山田くんが一瞬で打ち解けられるほど、信藤さんの人柄とセンスがスゴイのだなあ。「良い大人」に出逢えてよかったねえ・・・導き?
◎記憶って、大事なことは覚えてなくて些末なことほど覚えてる(というか言いたくなる)ことが証明された感あり。大切なことは覚えてないと言って大事に閉まっておくってのもあるかも。一番濃密であったであろう2nd,3rdの話があまり語られなかったのは、大切な日々であり且つ忙殺過ぎて記憶が飛んでいるのかもしれないし、ネタ合戦な制作方法のせいかもしれない。「覚えてない(笑)」はホントでもあり、敢えて、でもだろう。
◎打ち合わせなしで緩くなりそうな場を、ばるぼらさんが的確な間合いで質問や進行(2人の発言を受けてPCでググってスクリーンに表示させるとかも)をしてくださったし、結局のところお二人もなにげにちゃんと答えていて、さすがでした
◎作品の今後の保管について、公的な場で是非お願いしたいです。日本にそういう場あるのかな・・・
帰宅後、小山田くんが例の「ヘッド博士」パネルの前でインスタ映えな写真をネットに上げてくれてて、こうやって語れるほど時が経過したんだなあとしみじみした。91年って今から27年前!で、そのまた27年前って?と考えると64年…ってビートルズ「A Hard Day's Night」リリース年だよ!くらくらする。
*1:ローリー・アンダーソンのらしい
*2:小山田くんの事務所社長且つディレクター
*3:岡さんは元々ノンスタンダード・レーベルにいて、ピチカートの宣伝をしていたようです
*4:1stジャケのカメラマン
*6:3rdの通常盤のジャケは何故シンプルにドットだけじゃないのか、何故”壊しちゃったのか”をずっと思っています
*7:北山雅和氏:元 コンテムポラリー・プロダクション所属で、コーネリアスのアートワークを手掛けるデザイナー
*8:https://www.cinra.net/news/20180719-cornelius
*9:wiki情報だと84年リリースのシングル「VOYAGER〜日付のない墓標」が信藤さんにとってグラフィックデザイナーとしての初仕事とあり
*10:こういう”未知の作家を起用する余裕とチャレンジ精神があった良い時代・・・”