はてなダイアリーと私

2019年春「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い
http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify


ああ……遂に来た、この日が。
2003年に開始された本ブログサービスがシステム運用の面からも厳しいだとか、理解はするけれど、悲しい。
長年住んでいたアパートだけど、耐震問題を理由に解体のため退去を命じられたってことだねえ……。新しいトコは今の時代には利便性があるかもしれないケドさ、私はこの我が家を愛してきたのだよ。
めんどくさがりで掃除も行き届いていないちいさな部屋だけど、時々爆音で音楽聴いたり映画見たりおやつ食べたりしてさ、そしたら気の合う人に出逢ったのだ。

先のインフォメーションに
>「はてなキーワード」を介して日記と日記が繋がるという新しい体験を提供し、日本のブログサービスの黎明期を牽引してきたと自負しています。
とあって、うん、そだよねえ。

私がはてなブログを知ったのは、2004年の夏。新聞の片隅に「ブログ」の紹介記事を見つけたのだった。それまでHPなどはやったことはないし、ITリテラシー ゼロだけど、ネット上に日記を残す、好きなことを綴るという行為が簡単に始められることを知った。そこには3社ほど挙げられているなかで、はてなが一番シンプルでサラッとしてたから選んだのだった。
映画の感想が最初だった。見知らぬ誰かが読むことも殆ど意識していなかった。けれど自動的にリンクが張られる「はてなキーワード」のおかげで「音甘映画館」を覗く人が出てきたり、私も見知らぬ誰かのブログを読むことが日課になった。世の中にはこんなに素敵な人たちがいるんだなあと親近感と敬意を持って日々読み合う中で、「友人」と勝手ながら呼ばせてほしい人にも出逢ったし「伴侶」にも出逢った。リアルと称される世の中だけだったら出逢うことはなかった。
いくつものブログサービスのなかで「はてなダイアリー」を選ぶことはまず第一の共通項だった。そして「はてなブログ」は直感的な居心地に違和感があって、ここに居続けた。

思い返せばブログを始めた2004年の夏は、私の人生がどん底へゴロゴロ落ちていくさなかだった。そのときは認めたくなくて目をつぶっていたけれど、気がついたらブラックホールにいた。そんな状態から抜け出して、今幸せに暮らしているのは「はてなダイアリー」のおかげだ。大袈裟でもなんでもなく、ほんとうにそう。


今はSNS全盛で、ネット上でたわいもない長文を書く人も少なくなっただろう。「はてなアンテナ」上で更新されないものが殆どになってしまった。廃墟と化した村。あの人、この人、今も元気にしてるかな。映画や音楽や書籍や日々のことなど綴られた文章に共感した方ばかりだから、学校や会社で知り合った人たちよりもずっと近しい存在だったのだ。
SNSだって想いや意見を綴ることは出来るし、SNSにリンクが張られた「目次」から始まる記事仕立ての「ブログ」をよく見かけるようにもなった。
でも私にとっては違うんだよ。はてな「ダイアリー」というものは、Weblogでもblogでもなく、記事でもなく、「日記」なのだ。そして自分への、誰かへの、手紙でもあった。


私が「音甘映画館」を始めたのは2004年8月29日。ちょうど14年前だった。
恐らく充てがわれた移転先になるかと思います。それまではこの部屋で綴らせてください。きっと移転先もすんなり気にいると思うけれど、ね。