嶺川貴子 ソロパフォーマンス

七針にて嶺川貴子さんのソロ。ライブではなくパフォーマンスと称され、タイトルは 「 Traces of the ceiling 」 (天井の引っ掻き傷)。

”冷え取り”を目にするようになった時期と嶺川さんを纏う印象の変化の時期のリンクを邪推するところがある。そこには嶺川さん世代を取り巻く90年代以降の時代背景を感じてしまうのだ。今回、私は素直に受け取れるだろうかという幾分の不安があったのは正直な気持。


新富町駅で下車し、北東に向かって歩いた。この界隈を歩くのは、同じ場所で嶺川さんの演奏を見た年以来だけど、随分マンションが増えていた。バブルの頃の地上げが尾を引いた永年の空き地に、大手ディベロッパーが漸く手を付けることが出来たようで、高層マンションが完成していたり、予定地看板が立っていた。たった数年で変わるものだなあ。当時の散策記録を見返してみた。
東京埼玉神奈川 - 音甘映画館



18時定刻になり登場した嶺川さんは機材の前の床に仰向けになり、天井を見上げ、手を宙へ掲げた。こういう方向へ(やはり)行ってしまったの?と見つめていると、嶺川さんの意志が伝わってきて吸い込まれた。
その後はグラスハープや朗読を挟みながら、シンセやエフェクターを操り、はっきりと高らかに歌ったその声に、これまでの歳月を吸いこんだ先の、今の彼女がつくりだす、空気を震わす真摯な強さを感じて、涙腺が緩んだ。一挙一動一音を固唾を飲んで見つめながら、徐々に構築されていく世界。嶺川さんの眼と耳が感じ取った、他の何者でもない「ひとり」の繊細な波動を七針のちいさな空間に放って、この場の空気を取り込みながら少しづつピントを合わせてフォーカスしていく。張り詰めるのではなくほどけていくような、でも研ぎ澄まされるような、感覚があった。一時間ほど、何処でもない何処かにいた。
昔演技をしていたときもあったのだなと思い出したけれど、嶺川さんは呼吸するように表現したいのだなと思えた。今の世の中の不穏さも美しさもすべて感じて、吸って、体内を巡らせて、吐きだす。ひとつの正解はたぶん無くて。

蝋燭の火を息を吹きかけ、フッと消したかのようにパフォーマンスは終わり、霊岸島という名の交差点を超え、橋を渡り、地下鉄に乗った。