アマンダと僕

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久しぶりに映画を見に出かけた。夕刻、外へ出たら、湿り気ある風の匂いが夏だった。ああそうだった、この匂い。
パリの街の空気を含みながら、この街で暮らす彼らの心の動きに寄り添う音楽とともに、彼らの「これまで」と「これから続いていく」日々の "あいだ" をささやかにすくい出す、映像のやわらかい光。喪失した心へもたらす希望を、こんなふうに見せてくれるなんて!ああ!
出来事を映像や台詞できちっと説明することはなくとも、何気ない表情だったりのちょっとしたところで心にふわりと重なっていく描き方が好きだ。やー、アマンダちゃんがほんとうにかわいいんだ。
前作「サマーフィーリング」ではジョナサン・リッチマンなタイトルでFELTとBlueboy、今作ではPalesaintsとGo Betweensをつかう監督には親近感しかない。レコ屋シーンも嬉しかったなー。モグワイの鷲ジャケポスター貼ってあったけど、何故今だに?とかどういうセレクトの店なの?感はあり。フランスのレコ屋行ってみたいな。楽しそうだなあ。にしても映画を音楽からの視点で販促しないのが、今の日本なんだなー……。今CDショップのサントラコーナーにいたら、めっちゃ張り切るわー(遠い目)
今もアマンダと僕とまわりの人々の日々を思い出し、元気かなってパリに手を振っている。
「映画鑑賞」とひとことでいっても人それぞれ、いろいろある。昔のようにたくさん見ることは難しいけれど、これは、という作品を射抜き、見る時間と気力を作り出す。「アマンダと僕」を見て、私はどういう映画が好きなのかということを改めて思った。こういう映画が好きなんです。