「人が店をつくり、店が街をつくる」再び

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盛岡にはまた行きたいなと思っていた店がいくつもあった。どの店も9年前の記憶と変わらずに街に佇み、人々が珈琲を飲み、本を読み、ときに静かに語らっていた。

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代替わりした店もあった。事前に読んだ記事で、娘さんが跡を継いだと知った。私よりも年下の女性が丁寧にキビキビと且つ柔らかさを携えて切り盛りしていた。珈琲もプリンも記憶のなかの味わいのまま美味しくて、店内は変わらずにいろんな人を迎え入れていることが伺えた。会計時に「東京から来たのですが、10年前にも盛岡に来て、そのときにこちらにお邪魔して、また伺いたいと思っていたのです」と告げると、とてもうれしそうに喜んでくださった。
「あのときはお父様が店頭にいらっしゃって……」
「ええ、そうなんです。実は先日亡くなりまして」との返答に驚いた。
「そうだったのですか……。でも、10年前と全く変わらずに、店内も珈琲の味わいもそのまま保っていらして、とても美味しくて良い時間を過ごせました」
「そういっていただけて、ありがたいです。父にも伝えさせていただきますね」
ありがとうございました、と見送ってくださった笑顔が忘れられない。


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雨上がりの朝は良く晴れていて、敷地内の庭に足を踏み入れると光がキラキラしていて、泣きそうになった。席に座り、ミルクティを頼んだ。窓からは朝露を含んだ緑が輝き、ステンドグラスを通した光が床に色彩を描いていた。ゆっくりと穏やかに過ぎる時はなんとも重層的で胸がいっぱいになった。店員さんたちは揃いの紺色の庭を履き、水を撒き、窓の棧をキッカリと吹き、その所作はとても美しかった。差し込む光は澄んでいて、まったく変わることなく私を包んでいた。変わったことといえば、店内に「カメラに☓」をした手描きマークが貼ってあったことだろうか。その1枚で一時期の状況が伺えたのだった。
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川沿いの小さな公園を望む店内は変わらずに静かで柔らかかった。あの頃と変わらないメニューに音楽。ひとりの女性客が本を読む場所。女子高生数名が店の前を通りすがりに「あー、この店行ってみたいんだよねー!」と1人が言うと他の子が「駄目だよ、うちらなんて出禁だよ!」なんて言うもんだから、思わず笑ってしまった。そう、盛岡は喫茶店が多いけれど、客側はそのときの自分の過ごし方に合う店を選んでいるように思うのだ。



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繁華街から離れていて、歩いては行けないこの店を前回気に入りすぎて2度も行ってしまった。今回も結局2度行った。雑多に並ぶ本に囲まれて、R&Bが掛かる店内はほんとうに落ち着く。ひとりで来るご近所おじさんもおばあさんも新聞やスマホ見て、時を過ごす店。リキュールがけのブラッドオレンジシャーベットの美味しさ。この店のために近くに住みたいとまで思う。


変わっていないを連呼したけれど、実際はこの10年の時代背景を受けて厨房からの景色が変わりながらも、芯はそのまま、我が店として保ち続けてきたのだろう。
日本全国のあらゆる行政が「まちづくり」「にぎわい創出」を呪文のように唱え、自分たちの身の丈も考えずに何処かの街の真似をして、流行りの店を持ってくる。そこに無いのは「その街で暮らす人が店をつくり、その街で暮らす人々が店をつかい、店が街をつくる」という、当たり前の意識だ。「つくる」には「時間がかかる」のだということ。パワポ資料のイメージのまま、その街で息づくことなんて無いだろう。
茶店はその街の姿を写しだす。盛岡を歩いていると、そんな当たり前のことにあらためて気付かされる。店主の「ひととなり」が表れながらも、店主と客と客同士、お互いを尊重しあう盛岡の人々の気質を感じるのです。