after loud

一晩明けて、それでも甘く見ていたと思わざるを得ない。先月と続いてまたしても。勿論自然災害ではあるけれど、まるで警告のようにも思えてくる。
60〜70年代に建築されたものが、更新時期の90年代にバブル崩壊で後回しになって、関わる人も予算もどんどん減って技術も継承されず、大合併で市の規模が大きくなりすぎて、今この災害続き。2010年代は災害に始まり幾度も災害に見舞わされ、災害に終わるということだ。
元々の維持管理も中途半端ならば、「IT化」も行政には中途半端な試みでしか無く、結果的に情報共有が統一されていない。各行政の能力の差があからさまに出ていて、親に電話すると離れた地域の状況はテレビで見知っていても、自分の間近な状況を知るすべがまるで無いことを思いしらされる。でも父が言う「50年前もこういうことがあった」、そういう土地の記憶はたった数十年で消されてしまうのだ。今となっては結果論でしかないけれど。
日本の国土って世界から見たらこんなに狭いのに、何をやってきたんだろうとこういうときに改めて思う。自然がこれだけ教えてくれてるのに、現政権はまるで無視続けることが恐ろしい。高みの見物。国民性をよく把握しているってことなのかもしれない。そして私は故郷のことも心配だけど、会社で待ち受ける激務も恐ろしい・・・。


今日は朝から日差しが強く良く晴れたので洗濯をして、数時間でカラッと乾いたから取り込んで、近所の店にご飯を食べに出掛けた。台風前夜の土嚢対策が大変だった話を聞いて、ご飯はとっても美味しくて、お腹の底から元気になった。そのまた近所のお店でおやつ買って、なにごとも無くて良かったねって話して笑って、そのままズズズッと歩いた。金木犀の薫りがあちらこちらで漂っていた。蜻蛉も飛んでいた。夜になるとまあるい月が低い位置で煌々と輝いていた。帰宅して「いだてん」見てボロボロ泣いて(市井の人も名を残した人も同じ時間を生きている!)(思わず走り出したくなっちゃうリズム感を持った演技が出来るのは森山未來だからこそ)、ラグビー眺めながら「私の知っている”スコットランド”じゃない*1!」と呑気に思ったりした。まあこんなに災害続きの国で世界的行事やるの、リスクありすぎじゃんねえ。
どんなことがあっても時は過ぎていく。とりあえず私は元気で住む家も問題ないから、これから膨れ上がるタスクをこなしていくために、疲弊しないように心がけることにする。

*1:f:id:mikk:20191014094401j:plain:w200f:id:mikk:20191014094810j:plain:w200f:id:mikk:20191014094716j:plain:w200 まだまだたくさんあるヨ!