ヒルサイドテラスという場

記念展覧会「HILLSIDE TERRACE 1969-2019 ―アーバンヴィレッジ代官山のすべて―」
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今年、ヒルサイドテラス第1期の竣工から50周年、重要文化財・旧朝倉家住宅は100周年を迎えたことによる、記念展示へ行ってきた。
HILLSIDE TERRACE 50th Anniversary

ヒルサイドテラスを初めて知ったのは高校生の時に読んだoliveの、東京のおしゃれタウン特集で取り上げられた代官山の記事でだろうか。クリスマスカンパニーやトムス・サンドウィッチのある場所。実際に行ってみると、当時よく見かけた言葉で言えば「アーバン」でちょっと大人びた印象があった。実際、どちらの店もお高めな価格設定で、気軽に購入したり食べたりすることは出来なかった。その後1993年に開店したベーカリーは、カリカリなクロワッサンが美味しくて、ちょっと特別だけど手の届く感じだからよく行っていた。

ヒルサイドテラスは住居・店舗・オフィスからなる複合建築で、1967年から1992年まで数期に分けて段階的に建設されてきた。このプロジェクトは、都市開発の進行過程を示すひとつのケーススタディとなっているが、各期は、それまでの教訓と都市の拡大に伴う新しい要求に従って変化してきており、その点において都市と建築に対する考え方の四半世紀に渡る変容の記録ともいえる。

ヒルサイドテラスの敷地は、今でこそ東京都内のファッショナブルなエリアとして知られる代官山にあるが、30年前は緑の生い茂った細長い傾斜地で、朝倉家が所有する建物が数棟あるだけだった。朝倉不動産は土地を活用するに当たって性急な開発を望まず、むしろ長期に渡り快適な場所として保たれるよう、環境の変化に徐々に適合させていくことを望んだ。
ストーリー / HILLSIDE TERRACE

「建築」として意識したのはずっと後のことだった。
自分がどのように代官山と接してきたかを思い起こしながら上記の文章を読むと、ああ、そういうことか……と腑に落ちるのだった。


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トムズサンドイッチの写真とメニューやお皿。ロゴデザインは仲條正義氏だったと知った。後で通りかかったら洋食屋さんがオープンしたばかりで、料理研究家 坂田阿希子さんによる店だそうだ。長年続いた名物店の跡に”出店を許された”といえるけれど、この何年かの変化を踏まえた上での選択だろう。松之助の平野顕子さんだとか、やっぱりちょっと年齢が上のある程度落ち着きがある世代を選ぶのかな。
50歳から、まだまだ行ける!新しいステップを踏み出した坂田阿希子さん。 | くらしにいいこと | クロワッサン オンライン



今回展示された写真、資料、説明文などは丁寧で真摯で、槇文彦氏を始めとする関わった方々の意志が強く感じられた。かといって万人に開かれた開放的なスタンスでもなくて。でも知ろうとするとたくさんの叡智が表れる。それは昨今の建築物にはないものだ。地主である朝倉一族の彗眼たるや。

今国内では、モダニズム建築の解体があちこちで起こっている。造形の美しさよりは、雨漏りなどの不具合や使い方の悪さが目立つ故か。建物の維持管理は持ち主によるのだと、ヒルサイドテラスの今を見ると納得する。この日は渋谷から歩いてきて、八幡通りに並ぶテナントビルがいくつも空き家状態だったことに驚いた。どれもこの10年来に出来たビルばかりで、開店時こそ話題のスポットとして紹介されていたはず。それらの商業施設とヒルサイドテラスとの違いは、明確だ。


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旧 山手通りに沿って立ち並ぶヒルサイドテラスは低層で、人の視界にすっと馴染む。各棟を歩いていくと段が随所にあって、歩くたびに表情が変わる、迷い込む。そしてぱっと開けて樹木がある庭になって、ほっと息をつく。
縦横にと広がる、余裕ある空間が気持ち良いのだよなあ。建物のあいだの樹木の色合いの変化が、代官山の街と、行き交う人々とを繋いでいく。建物が、街が、生きている。

昼ごはん用にパントリーでパンを買うつもりが、田田のおにぎりが売っていたからこれにしちゃった。今は代官山を離れてしまい、週末だけ限定で販売しているそうだ。外に戻って、奥にあるベンチに座って食べた。ぼーっと眺めていた。背の高い樹木に通りゆく人々がクロスしていくさまを。葉っぱは枯れた色に変化して、光がやわらかく差し込んで。ああ幸せだなあ。
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代官山といえばのあの歩道橋も無くなってしまった。今年の3月のことだ。
でもそもそも1970年に設立されたものだと知った。ヒルサイドテラスが出来たころか。私にとっては「歩道橋がある風景が当たり前」だったけれど、無いほうが当たり前だったんだよねえ。撤去要望も地域住民によるものだそうで、長年暮らしている人にしたら目障りだったかもしれない。
ヒルサイドテラス敷地内には、古墳時代末期の円墳がある。ずーっとずーっとここにいるのだ。
風景が変わってしまった!と驚いても、私が知っているのは長い歳月のなかの、ほんの僅かな瞬間だけのこと。
代官山といえばヒルサイドテラス、よりも蔦屋書店という人のほうが今は多いのかもしれない。


ヒルサイドテラス設立に絡んだ方々も少しづついなくなっている。時代も今また、急速に変化していて、こと都市計画関連の状況は随分様変わりしている。そんななかで、この土地を如何に守り、変化させていくか。その意志の継承をお披露目したかのような、展覧会だった。