半蔵門線〜東武伊勢崎線と電車一本で辿り降り立った、東武動物公園駅。ここへやってきたのは遊園地が目的ではありません。
ちょうど昼だったので駅近くの古いうどんやさんに寄ると、高齢家族で満席の店内、働くのは60代以上と思われる女性ばかりで、オーダーうまく回るかなと正直若干の心配をしていたところ、リーダー格の方が的確な指示出しと気持ちの良い接客で、頼んだけんちんうどんは野菜タップリでとても美味しかったなあ。
さて歩き始めて、いわゆる田舎町の風景と思うと、ドン!と目の前に表れる建築物に驚かされます。
今日の目的、進修館。薄い紫色を施されたギリシャ神殿の廃墟のような佇まいに息を呑む。宮代町の公共施設で、地域コミュニティの拠点として1980年に開館。象設計集団による設計に、なるほどと思わされるその特異な造形。
進修館 - 人々の様々な活動を支える宮代町のコミュニティセンター
回廊に誘われるように中へ。
調理室の調度品がオリジナル家具!
廊下に並ぶ椅子もとても素敵。先程記した公式サイトによると”背もたれ付きのイスには「ロミオ」と「ジュリエット」、背もたれなしのイスには「いざなぎ」「いざなみ」と、それぞれに名称がある”そうで、
棚やドアノブに至るまでディティールにも物語りがあって、細部にも手をかけているのがね、昨今の建築物にはない気持ち(とお金…)の余裕なのですよね。(ただまあ、ノブの上にテプラで”押”と記さなきゃいけない世知辛さよ……)(「テプラで注意書」は病いよね)
ぐるりぐるりと回廊を辿ると、様々な顔が表れます。イメージを喚起させる装置が随所にあって、想像が膨らむのです。蔦は壁面に絡みつき、広がり、色を変え、建物の経年とともに生きていくのだなあ。
ドアノブや足元のタイル、建物を覆う緑やテーマカラーなど、「葡萄」がモチーフになっていて、何故だろうと思っていたら、巨峰は宮代町の特産品なのでした。しかもこんな物語りがあったのです。
宮代の巨峰 ~はじめて物語~ | みやしろで暮らそっ
宮代町から地域センターの設計を委託された際に、宮代町とはどんな街なのだろうかと歩いて、感じて、暮らす人々に話を聞き、風土に根ざしたものを作るーーー
宮代の一番いいところは、きれいな屋敷林と水田だと思っています。屋敷林と水田の美しさが保たれた宮代の、街なかに建つ進修館は、農業や自然を敬う心のシンボルであってほしいと思っておりました。進修館もブドウや木々に包まれて、植物と建物が一体となったような場にしようと考えたわけです。
設計者の想い~「宮代の魅力を考える」シンポジウム 基調講演「進修館は世界の中心」 ( 2006年4月22日 ) から抜粋~
“世の中には、たくさんの中心があってその中心からいろいろな力が発散されて、そしてその中心に発散した力のお返しが戻ってくるようなイメージです。そんな中心があちこちにあって、その力が重なり合っていく社会ができてきたらいいなという気持ちで、ここでは「中心」と言っています。
以上2つの引用はこちらより。
進修館について - 進修館 - 人々の様々な活動を支える宮代町のコミュニティセンター
「進修館”も”世界の中心」という考えは、世界各国で不穏な雲域を感じずにはいられない昨今、忘れてはいけないとても大切な眼差しで、「そんな中心があちこちにあって、その力が重なり合っていく社会ができてきたらいいな」、ああ、この想いが世界中に満ちればよいのに!
そもそも、何故この街に象設計集団による建物が?と思っていたところ、宮代町の初代町長である斉藤甲馬氏が象設計集団 創始者のひとりである建築家の富田玲子さんの伯父にあたるそう。斉藤町長は亡くなるまで30年以上も町長を務め、まさに町の基礎を作り出した方でかなり先鋭的な考えの持ち主だったよう。
齋藤甲馬の残したもの・そして未来へ : komachi memo2
進修館のほか、町立笠原小学校も象設計集団による校舎が有名です。
「勉強をする場」の意味を無意識に自分で生み出すのではなかろうか、と思える校舎だなあ。
学校の向こうは里山の田園風景が広がっていて、長閑で光が溢れて美しく、ゆっくりと呼吸をしながら辺りを散策しました。
町が開設した後支援している民営の施設農業公園。あれこれ用意しすぎずに、宮代町の風土を守りながら今の時代に向けた「新しいコミュニティ」を創造しようとする意志が感じられました。
まちなかで見つけたかわいいこ。
この迫力に笑った。
進修館は来年は設立40周年を迎えるそう。