窓とは

東京国立近代美術館にて開催の「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」の記録。
YKKが設立した『一般財団法人 窓研究所』の活動による展覧会。昨今の日本における「文化など荒んだ」時代においてメセナ活動とは、YKKすごい。ホントに凄い。無料配布のパンフや設営など、通常の企画展よりも費用がかかっているだろうし、YKKの心意気と気合が伝わる素晴らしい内容だった。下記にリンクのサイトもすんばらしいので、是非見てください。
窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE


一部を除き作品撮影可、どうせ写真撮る人出てくるしSNSで勝手に宣伝可能になるゆえのイマドキの手法ですな。個人的には引っかかりはあるものの、どうせなら撮ろうと開き直った次第。でも気持ちちょっと遠目で撮影。


会場に入ると、バスター・キートンキートンの蒸気船」のワンシーンがエンドレス。バタンバタンした動きが面白くて笑ってしまう。この導入部で今回の展示の重層的なキュレーションがわかるのです。

横溝静の「Stranger」シリーズ。”見知らぬ人に手紙を送り、指定の時間にその人の家の前にカメラを設置し、被写体となることに承諾して窓辺に立った人を撮影する”という作品。なんとも微妙な表情とカメラの間にある「窓」の存在。その距離感にぐっときた。

北脇昇「非相称の相称構造」コレクション展等でも見たことはあったけれど、企画の趣旨に合わせて選ばれるとまた新たな発見。すごく好き。
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茂田井武は複数展示。なんてモダン!なんて愛らしい!うきうきしてしまう。
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マティスは2作品。マティスは窓を印象的につかった作品多いけれど、今回のは特に好きではなかった。。。ティルマンスは問答無用に良いよねえ。ロスコには驚いた。ロスコのアレを窓と思ったことはなかったけれど、心象風景=窓と考えるのは確かに。

ジェイムズ・キャッスルもとても好き!小山登美夫で以前やったなんて知らなかった。ぼあんとした色調が素敵。
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ジェイムズ・キャッスル 展 – Tomio Koyama Gallery 小山登美夫ギャラリー

奈良原一高!「王国」シリーズは大好き!そうね、これも「窓」だ。そしてこの写真見るたびに脳内でJoy Division ”Atmosphere”が再生されるのです。
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www.youtube.com


「窓の技術」と「窓を描いた作品」の年表も面白かった!絵画には窓を背景に用いた作品が数多くあるけれど、建築における窓はガラスや窓枠など時代や地域によって様々な変遷があるわけで、並列して見比べることにより、ナルホド!な発見。更にピーター・アイゼンマンによる設計図なども見せることにより、記号的に描かれる「窓」と実際の建築ー現存物としての「窓」の違いも面白い。

中盤、映像作品が並ぶ中で確かに!だったのが、JODI「my%desktop OSX 10.4.7」PCの「ウインドウ」をモチーフにした作品。そうだね、コレも「窓」だ。


最後の一部屋はリヒター「8枚のガラス」、これが最後にあることで「窓とは」という概念を再考します。この作品はどの視点から見るかで、映り込む景色が変わるのだ。それはひとつの視点で物事を見るのではなく、様々な視点で見て、捉えることの大切さを感じさせた。
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建物入り口には、建築家の藤本壮介による大型模型があった。大きな窓がいくつもある箱に入ると、空が見える。タレルの作品を思い起こす。壁で遮られた室内の感覚もあり、内と外のシームレスな関係性があった。
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窓は雨風を防ぐ「実用品」であり、「装飾品」でもある。そしてフレーミングにより「内」と「外」の視線を与えてくれる。切り取られたもの、見えるもの、見えないものをどう捉えるか。物事を「窓」の視点で捉えることへの新たな気づきがあった。


近美で好きなもの。
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ここからの眺め。
それと、萬鉄五郎「裸体美人」。見ると元気になる。


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帰り道の首都高。


電車に乗って珈琲飲んで、また歩く。
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造形美なんてもの、皆無の建築物。あの展示を見た後だと殊更悲しい。