「つくりたいからつくる」こと

NYの写真引っ張りだしついでに、国内小旅行記録も出てきたのでした。


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わたらせ渓谷鉄道の1日フリー切符乗車記録も出てきた。んで桐生散策。チェキ使ってる……。



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京都。今はなきグルニエドール!



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鎌倉。この日は30歳の誕生日記念で1泊した。近代美術館内の写真が泣ける……。



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高松行って琴電乗ったり、直島行ったり、イサムノグチ庭園美術館行ったのとか。スクラップブックに現地でもらったリーフレットや地図とか入場券とか張り込んだブックレットも作ってる。


誰かに見せるためでもなく、つくりたくなってつくった。電車乗って、歩いて、写真とか言葉とか、「何をどう」という部分において、今となにひとつ変わっていない!(のはある意味複雑だけど……)


さらに、こんな記録も付けてました。
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ケーキ食べ歩き・・・!なんてマメなの、昔の私。イラストよく描いたなーと思ったけど、このときはフィルムカメラも使わなくなって、チェキも持ってなかったのかな。それに何しろ携帯電話持ってないときだ。クレモンフェランやARIのような今は無いお店もある。フィナンシェ食べ比べ企画は我ながらスゴイね……。そう、フィナンシェは店ごとにほんと違っていて、面白いのです。形や食感、味わい、師匠と自分の目指すもので個性が現れて、楽しい。


ブログも知らなかった頃。あのころの私の姿にウワーウワー!としてるときに郵便が届いて(大雨のなか、ありがとうございます)、先日sunny boy booksへ注文した本だった。3月末出版のこの本は意志のある街の本屋で買いたい!よく通ってるここで買おう!と思ったものの、行ける状況では無くなり、かといってアマゾンで頼むのは嫌だったので、初めてオンラインストアで購入したのです。


”何かを作りたいと思ったら あなたはいつでも メディアになれる”


届いたタイミングがドンピシャすぎて、震えた!そして一気に読んだ。言葉のひとつひとつに、想いが伝わってきた。第1章は野中モモさんの個人史が綴られている。同年代なので固有名詞などに共通するものが多く、自分のあの頃が立ち上がってきた。第2章は現在ジンを製作している方々へのインタビュー。真摯な気持ちや発見が散りばめられていた。第3章はジンの集いの紹介。
「ジン」についてのモモさんの言葉は慈愛に満ちていて、ああ!と天を仰ぐ気持ちに何度もなった。もやもやとか頑ななところがちょっとづつ、ほぐれた。モモさんの言葉は威圧的なところがなくて、ちょっと離れたところから手を差し伸べてる感じで、その手は別に触れても触れなくても良くて、やわらかくてでも強い。この距離感はモモさんが悩みながら考えて、誰かとどこかで繋がってきた日々の積み重ねによるのだろう。ちなみにSNSではよく「言葉が威圧的な人」を目にするけど、ぱぱっと書くゆえに端々にその人の素は、殊更出るものだ。



実をいうと、私も今でいう”ジン”をつくったことがある。
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個人情報含む内容は一部加工。高校の時のもの。勿論ジンなんて言葉は知らないし、むしろ気分は同人誌ですよ……(ついでに白状すると、私は同人誌即売会に行ってた時期があります)わーもう、タイトルがアオイ!詩っぽい文とか音楽のこととか、内容も今と変わってません!これは製本ぽく仕上げたけど、A3の紙に真ん中に切り込み入れてパタパタ折ってページものっぽくした、コピー紙もつくった。こういうノリでインデックス付けたカセットテープも何本もつくったなあ……。勿論、自分だけの楽しみでつくって満足したのだ。


2000年代頭にブログを知って始めたのは、恐らく、この「つくりたいからつくる」という気持ちの延長だ。好きなことを、今日したことを、綴った。「書きたいから書く」ただ、それだけ。誰かとコミュニケーションを取りたいなんてそもそも無い。でも共通の感覚の人と繋がることの喜びを感じるようになった。勝手に書いて、いつか誰かが勝手に見つけてくれて、私も誰かを勝手に見つけて、それは点在する星のようなもので。


CDショップのレジ横に置いてあるようなコピー紙や、タコシェとかなぎ食堂で購入してた冊子として馴染みのあった印刷物が「ジン」と呼ばれることを知ったのは、モモさんの「リルマグ」だと思う。先に挙げた店やこのサイトでもジンを購入したけれど、自分ではじめようとは思わなかった。印刷物になるとハードルが上がるように感じていた。ジンは「物ゆえに」誰かに受け取ってもらわないとダメだと思っていた。友人もいないし、交流の場に行くことは躊躇してしまうし、つくっても誰かに「素敵」と思ってもらわないと意義がないって考えてしまう。
その点でブログは、コミュニケーション不要で、思ったときにぱぱぱっと書いて自分の「外」に出す気楽さがあった。ネットで全世界に発信しているとはいえ、物理的に渡すわけではないから、読んでもらうことを気にしなくてよいのが良かった。30代で始めた「はてなダイアリー」で出逢った人と、現実にも交流を持つようになったのはなんとも不思議な縁だなあ。


ブログを「家」とすると、SNSは「公園」だろうか。ベンチに座って独り言ぶつぶつ言ってる人もいれば、通りががりに話しかけられたり、複数名で雑談してるひともいるし、拡声器でがなってるひともいたり、独り言がいつの間にかスピーカーで拡散されたりとか。
実のところ「ジン」はハードルが高くて、センスあるもの作れないし、と思ってたけど、野中モモさんの本を読んで、別に配布しなくてもいいんだよねと思えた。そもそも私、昔つくってたんだった、誰かに読んでもらうこと無しに。


印刷物ではなくてもいいんだよね。以前tdさんがつくっていただいた「80・90・00・なう」CDRとライナーノーツ、昨日また全部聴いて読んで、やっぱり最高!楽しい!これもZINEだ。いいたい!つくりたい!綴りたい!って想いがぎゅーっと詰まってる。


そうそう、ブログだとさすがに晒せないこともあるし、誰に見せることなくても自分自身との対話として、ジンをつくるのもありなんだな。まあ、歳取ると家系図とか自分史書きたくなるというじゃあないですか。え、そこ? まあ、自分振り返りだけじゃなくて、今の自分を面白がって、つくることに億劫にならずにいたい。
2020年の今、世界がこんな状況のときに本書に出会ったのは新しいタイミングかもしれないから、直接触れ合うことが出来ない今、元来コミュニケーション不得意な私が”世界の空気への触れ方”として、違うかたちをはじめてみようかな。