ジオラマボーイ・パノラマガール

瀬田なつき監督最新作は、なんと岡崎京子の「ジオラマボーイ・パノラマガール」映画化! 読み返すには棚の奥から引っ張り出すのがめんどくさくてしていない。

かつて私は瀬田なつき監督のことを

「ヘッド博士の呪い」にかかっておらず、「彼方からの手紙」のあとに聴いた「LIFE」がはじまりで
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と書いたのだけど、まさか「岡崎京子」原作で「ラブリー」を口ずさむシーンが登場するなんてねえ・・・。「東京ガールズブラボー」を読みながら「フリッパーズ」を聴いて上京し、「リバーズエッジ」を読みながら「犬キャラ」と「THE FIRST QUESTION AWARD」を聴いて、「うたかたの日々」や「オザケン」「Cornelius」にしっくり来ないまま90年代後半を過ごした私には、本作中ハルコが大塚寧々演じる母親に「お母さんの若い頃どうだった?」などと尋ねるシーンには、渋谷パルコ前のA!chi!chi!でお茶をしたりZESTやHMVやクワトロWAVEを巡ってる若き日の無邪気な自分の姿を思い出さずにはいられないのであった。


友人カエデが「叔父さんに借りた」とハルコに渡す「LIFEのレコード」に、あんなレア盤軽々しく人に貸さないよ?とか、レコードプレーヤーが90年代半ばに流行った簡易なアレなのはどうだろうかと云うのは野暮だろうが、大瀧詠一ロンバケレコードが飾ってあったのは今の若者感覚だなーとも思う。で、シュークリーム目当ての「パン屋襲撃」するつもりが「再開発で消えていた」というオチはナルホド。

唐突な丹下左膳は、岡崎京子でいう「スリッツ」みたいなものなのかな。高校生があのシーンで気になって山中貞雄見るようになったら面白いなって、計らいだろうか。「あとのまつり」でも引用した“唇を拭うシーン“もあるけれど。
思い返せば原作はスットンキョーな展開で掴みどころのなさが残る。その意識は瀬田なつき監督の作風と共通している。ただ、岡崎京子印のエゴとか性というものを描くには瀬田なつき監督にはテレがある気がして、その辺りがフワ〜としてる一因ではなかろうか。

それにしても、「あとのまつり」「5windows」のアナザーワールド感。湾岸、ゆりかもめ東京オリンピック“予定地”、横移動、台詞のテンポ良い刻み方、交差すれども交わらない2人、クラブのシーンでは「彼方からの手紙」のワンシーンを思い出したり、あー!瀬田なつき監督作ファンとしては、高鳴る!湾岸超高層マンションに渋谷宮下公園とパルコの絶賛工事中の景色がガッツリ映るのも嬉しくて。2015年 恵比寿映像祭でのトークショーで「オリンピック前の東京の風景を撮ってほしい!」と厚かましく質問コーナーで伝えたんだけども、voidの樋口さんが「その準備はしています」と仰ってて、それが形になったのが今作なのかなあと想像するとまた嬉しい。昭和30年代までの映画を見ると、当時の景色が記録されていることが見るときの醍醐味の一つなので、こうやって「今の」東京が映っているのは重要なことだ。奇しくも「コロナ以前」の。

まあ、でも、「みーまー」「5windows」同様に良いけどちょっとねえ・・・なトコは多々あって、でもそれは岡崎京子の漫画でなら気にしないけど、映像になると変と感じてしまうのかもしれない。お婆ちゃんの話は端折られ、まゆこも今の時代出しにくいし、タイラくんがハルコのこと好きって設定も消えてしまった。岡崎京子が「それでもしぶとく残るのだ」と綴った気持ちのではなく、街の変化ともにハルコの眼差しのアングルの変化をスクリーンに焼きつけたことが瀬田なつき監督らしい折り合いの付け方なのだろう。