パリのどこかで、あなたと

セドリック・クラピッシュの新作は、またムズ痒い邦題だけど、原題は『Deux moi』。このタイトルはインタビューによると、監督の造語とのこと。
fansvoice.jp


クラピッシュの新作は久しぶりに見る。とはいえ日本ではほぼコンスタントに公開されており、本作はフランスでは昨年公開されたばかり、外国映画の公開がお寒い状況の今の日本であっても、動員稼げる監督なのだなあ。

私にとっては「百貨店大百科」「青春シンドローム」「猫が行方不明」(のおばーちゃんが登場して嬉しかった!)があまりに大きいのだけど、新作の全体に漂う暗く重い空気には本当に驚いてしまった。パリの中の共同体が無く、彼も彼女も「1人で」もがいていた。パリの街で出逢い広がっていく私の新しい日々ではない。今の彼らはモラトリアムでもなく、仕事を持っていて認められているのに不安な毎日を送っていた。


人との繋がりがSNSでお手軽になった状況を憂いながらも、作中で聴こえてくる曲をシャザムで見つけたシーンなんかは笑ってしまったし、メラニーの住むアパートのインテリアは「インスタグラムで見つけた写真をミックス」したというし、お隣のレミーのアパート外観はCGだそう。


監督の「人は直接出会って触れ合わないといけない」という意志が当然感じられるけれど、みんなマスクをしていないことに気づいてしまうと、去年と今年で随分遠いところに来たのだなあと思わざるを得ない。挨拶のキスは当たり前だし、田舎に帰ってみんなでご飯な行動は今(特にこの年末年始)はあり得ない。でも、「マスクをして、外出をしない」今の生活こそ、SF映画のようだ。来年1月に始まる次回作の撮影はマスク無しで行なうけれど「ある意味時代物のようだ」という発言になるほど。。。 そういえば「パリの確率」は70年後のパリが舞台だったけれど、本当の70年後はどうなっているのだろうか。

www.cinemacafe.net

screenonline.jp


本作自体のことを言うと、30歳の2人が思い悩む姿はあの頃の自分を思い出したし、私もエイヤッと外へ出たことで、恐らく今まで渋谷や下北のレコ屋や喫茶店ですれ違ってたY氏と出会ったので(あら…)日本から大漁旗を振りたい気持ち。


この日は目黒駅から歩いて恵比寿ガーデンシネマに向かった。キラキラなイルミネーションに彩られた虚構の街。三越は半分閉鎖してたし、向かいのビルも相変わらずテナントが落ち着かない様子だった。スマホで写真を撮る人たちやTikTokの撮影をしていると思しき高校生女子2人の姿を横目に早足で走り去り、線路脇のいつもの道を歩いて渋谷へ向かった。途中、古い中華屋が更地になっていたり、工事用壁に囲まれたり、変わってない光景と変わってしまった景色を目の当たりにしたのだった。