飲食店のこと

今の状況下において、飲食店関係者の方々のご苦労と心労は相当なものの中、“酒類提供禁止”になって改めて気付かされるのは酒の比重の大きさだ。私はお酒を飲めないので、酒を出せないから店を休業するという仕組みはすんなり納得できなかった。ワインバーや居酒屋は「お酒を売る店」だけど、こだわった酒を扱わない一般的な料理屋よお前もか、「今までお酒を飲めなくても刺身も肉も美味しくいただいていますが」と言いたくもなる。勿論、収益面で酒に頼る部分はわかる。しかし「自家製シロップを使ったソーダなど、ノンアルコール飲料を充実させました!選ぶ楽しみを皆様に!」なんて謳い文句を目にすると、そもそも“ノンアルコール組“には選ぶ楽しみなんて与えられていなかったんだよ……と愚痴りたくなる。でも甘みのある飲み物と食事って合わないよね。お酒を飲まない人は客じゃない、ではなくて、ノンアルコールの飲み物を充実させれば新たな顧客も増えるはず。
アルコール飲む人にも飲まない人にもみんなに優しい店はあっていい。「多様性ある社会の実現」なんてのは、まずはここからじゃなかろうか。(大袈裟)


そんななかにあったことちらちらと。


1店目。
先日から昼間の喫茶営業に切り替えたワインバーがあった。同年代と思われる女性が一人で営む小さな空間は洗練されたお洒落な雰囲気で、彼女の家に招かれたような午後の柔らかな光が差し込む店内は、本来はワインバーとして夜間しか営業していないことが勿体無く思われた。センス良いティーカップに入った紅茶は香り高く、気持ちがほどけるおいしさ。静かでいい空間だなあ。
「明るい光が入って、前からここで紅茶を飲んでいたような気持ちになります」
「いつも仕込みの時間に見る景色ですが、この時期は特に気持ちが良いので皆様に過ごしていただくのも良いと思って」
ああ、そうか。今までは店主さんだけが見ていた光なのだな。そんなお裾分けをありがたく思う。



2店目。
不思議な名前を持つその料理屋は、2000年代前半にオープンだったか、生活圏ではないし平日営業のみのために頻繁に行ったことはない。しかし会社を休んだ昼間に伺うたびに、素晴らしい空間と店主さんの心遣い、美味しいお料理に感激していた。昨年以降は例の如くで足を運べず、先日突然閉店したと知る。
店主は今は60代くらいだろうか、これまでの配慮が行き届いた接客を思うと、昨年は随分と苦心されたのではないだろうか。私が最後に行ったのは2019年の晩秋だった。いつものように感激して会計時にその気持ちをお伝えしたところ、とても嬉しそうに「またいつでもいらしてね!」と言葉をかけてくださったことが忘れられない。気持ちのよさを伝えてくれた店主に心から感謝する想いは直接伝えられないけれど、そういう人きっと多いだろうな。



3店目。
こちらも2000年代半ばくらいに、路地裏に古い店舗を利用したカレー屋があった。当時はリノベーションなんて言葉は持て囃されていなく、思い出すのは「タミゼ」で(調べたら2001年オープンだった)、あの店のような気取った様はないけれど、雰囲気を纏った店内には小道具と古書(美術書)が置かれ、カレー屋らしからぬ静かな店内を体現する、呪文のような店名だった。肝心のカレーはといえば、スパイスや素材の組み合わせがうまく、美味しかった。喫茶店の欧風カレーでもカフェの素揚げ野菜乗せカレーでも、バターチキンカレーにナンとか、南インドカレーでもない、この店だけのカレー。当時はこういう店は少なかった。しかしいつの頃からか営業は不規則になり、いつの間にか閉まったままだと気づいた。当時も食べログな影響を感じていたけれど、今なら確実にインスタの餌食だろうな。多分撮影禁止になる感じの。
先日昼前に何気なくネットを見ていたら、突然3日間だけテイクアウトで復活すると目にして慌てて駆け込んだ。店内は当時を思い起こすものが残っていて、小学校中学年くらいのお子さんが手伝っていた。近くの公園で食べたチキンカレーは美味しかった。油分は少なく、スパイスはじわりと穏やかに効いてくる。副菜の紫キャベツ漬も美味しくて、ブルーベリーが入っているところがらしいなと思った。ご飯の量も多くなく、ちょうどよかった。


今でこそリノベカフェに古民家カフェは全国に存在しているけれど、雑誌やネットで特集が組まれる以前の頃、古い商店を改装し、古道具と自身の所有物を組み合わせた飲食店が増えていた。店主が若い頃蓄えたものが感じられるセンスの良さが個性であり、店名・店の佇まい・メニューと店主がイコールであり、だからこそこういうスタイルの店が出来て、その空気にシンパシーを持つ人が客となって訪れていた。


振り返ればあの頃は、余白があった。街の中に店があり人がいる、その空間の余白を当然のこととして感じ、客としてその店に足を踏み入れ、時間を過ごした。今はスマホの情報だけでやってきては、余白を感じることなく踏み荒らしている。人気店の行列も、街の中に店があることを把握していないからこそのものだろう。
店と客は信頼関係で成り立っている。店も公共の場のひとつであり、人である。それすらわからない、野暮な振る舞いを見かけることは、辛い。

そう思うと、呑めない人が飲食店の「飲み物」に対してなんだかんだ言うのは、野暮な振る舞いではあるね。