another LABO 9+10+11 tour

ヤマソロワンマン at 下北club que。仕事で台風対策に追われた翌日にライブ見に出掛けるなんてアホだな……と雨雲レーダーを分単位で見ながら、ヨシッ!と現場猫気分で出掛けたのだった。おかげで酷い暴風雨に当たることなく、ホッとした。


queのサイズ感もあって、客の黒い海の向こうに浮かぶヤマジさんのloboという距離も良かった。選曲自体は6月の早稲田と近しいため「過去のあの楽曲を!」という驚きと感動は無いながらも、やっぱり聴くと泣いてしまう。悲しいメロディや歌詞でも無いのに、ただギターが鳴り唄声が聴こえるだけなのに、どうしてこんなに心が震えてしまうのだろう。宍戸さんの「ためらいのなさ」と「説得力がある」鳴りと共通の印象を感じるようになった。


前回からわずか数ヶ月でありながら、歌唱力の更なる向上がめざましく、ギターの強靭さに全く引けを取らない。むしろ「唄を聴いた」感覚が残った。これまでは唄が弱い故に生じる、良い意味での儚い切なさがあったけれど、ギターだけじゃなくこんなに歌えるなんて最強じゃない?普通50も過ぎれば、トーンダウン&テンポダウンするものだ。小山田くんでさえ「枯れた」表現になったのに、更に「加点」していく人も珍しいのではなかろうか。
バックトラックを原曲に忠実に作り込み、「after sunday」を演った後「human flow」が脳内再生されたほどだけど、「メンバーもここにいると想像して聞いてください、ナガタ、ナカニシ……そしてイズミ」と告げて演奏された「クロウル」にloboに篭って一人だけでここに到達したのではない意識を感じたのだった。
今の演奏ぶりはこれまでのセルフカバーとは異なり、「更新&追加した自分の技術」と「更新&発見した機材の技術」を駆使して「最適化」していく、まるでリマスターを人力で行なっているみたい。


と、ここまで書いて次の日。近所の花屋の店先に万年青が並んでいた。その横のボードには「敬老の日に」と書かれており、アオイ葉を長年に渡り広げるので長寿の縁起物だそう。常緑で年ごとに姿や斑を変化していく葉が特徴で、根茎は毒性。
「オモト」なる言葉を知ったのはdip 1st収録曲のタイトルで、ヒリヒリした音で「誰もさわれない空を」と唄われるゆえに刹那で儚く、青年期のモラトリアムの象徴と捉えていたけれど、植物の万年青の特性ーーー常に変化しながら長く生き続けるーーーを改めて学ぶと、真逆の意味だし、でもそれって今のヤマジさんそのものじゃないか!と気づいたのだった。勿論ご本人はあのタイトルをそのつもりで付けてないし、私の単なるコジヅケとして、若かりし日と今の日々が繋がって結果的に同一の意味を持つというのが興味深いのです。あ、万年青はマニアックな愛好家が多いそうでヤマジファンと一緒ですね(苦笑)(すみませんすみません)

f:id:mikk:20210920165641j:plain


次回は11月のdip!で年内ラストだろうか。配信は「したくない」とはっきり言うのも“らしい“けど、いずれスタジオライブをキッチリ収録して、ネットにアップしていただきたいと強くしつこく願ってます!! ちなみに、このご時世の中ライブ環境を整えてくださり感謝しているけれど、座席は前後ずらすことはキャパ的に難しいのかなあ。

楽曲はヤマジさんのツイート画像より
f:id:mikk:20210919180647j:plain:w200
https://mobile.twitter.com/dip_official/status/1439221759236968456


●6月のヤマソロ記録
mikk.hatenadiary.jp