環八沿いに建つ“異様”な風貌の建築物を見かけた人は「あれは何?」と思い、東京メモリードホールという斎場だと知ると「なるほど」と納得することだろう。しかし元から斎場として建築されたのではない。竣工1991年、自動車メーカー マツダの東京拠点としてオープンした、隈研吾設計「M2」。建築に関心がある人にはニヤリネタとして輝き続ける“名作”。
バブル期の日本が生み出したイオニア式柱頭
「M2」とは「第2のMAZDA」の意。自動車メーカー・マツダが1991年に新商品企画開発の拠点として設立した。そこではマツダの技術者が常駐し、訪れるユーザーと開発中の車両を肴にコミュニケーションを図っていた。秘密主義的な自動車開発に風穴を開けようとする画期的な試みだったのだ。
当時のマツダ担当者はそのシンボルたるビルの設計にあたり、「普通の建物だと不況になったらすぐに売却されてしまう」と考えた。そこで「M2持続のためにも、簡単に売却されないほどグウの音も出ないデザインを」と、気鋭の若手だった隈にリクエストした。
近くにある歩道橋から見上げながら「中を見たいなー」と思いつつも斎場だしな…と諦めていたけれど、見学会開催のお知らせに速攻参加希望を出したのでした。\ やったー /
外観。theポストモダン建築。
中に入るとエントランスホールはさほど広くなく、エレベーターを見せる構造がバブルな華やかさを感じさせる。このエレベーターホールが外観で言うと「ギリシャ建築(イオニア式)の円柱部分」とのこと。
コンクリート打ちっぱなしの回廊がなんか、もう、ねえ…
ほらこの感じ・・・・・(赤面)
車のショールームということもあるけど、車止めの動線も凝ってる。
きゃー!この雰囲気……
細部にまで至る装飾の数々。
大理石の1枚テーブル、どーーーん。
この曲線……
マツダ時代は商談に使っていたそう。今は斎場なので打ち合わせスペースに・・・
この壁面は元は吹き抜け。1階のショールームが見えるので、商談しながら車を見る形になっていたそう。
ここが上から見下ろせた1階ショールーム。今は式場……
天井の円形ライトの左側壁面が、さっきの商談スペースになる。ちなみにこの円形ライトも当時のままで、球交換はスイッチを押すと器具自体が下に降りるようになっているのだという。
建設当時のものが多いけれど、この照明は斎場になるときに設置したもの。後付けとは思えないデザイン。改装するときにちゃんと合うものを探した事がすごい。
トイレの設備には時代感が反映されやすいので確認ポイント。
洗面器の水栓は足元のボタンを押すと水が出る仕様。センサー式水栓は当時既に出回っていたと思うけど、何故この方式にしたのだろう。
男性トイレが変わっているというので入らせていただいた(!)
便器が無くて、センサー式でシャワーのように上部から水が出て洗浄されるそうです……。使いにくそう・・・。建設当時はカッコよかった?のかもだけど、今は斎場なので高齢者も多く問い合わせ殺到だそうな。それでも改装しないのはエライですね・・・
今は普通のエレベーターだけど、当時は車を運べる大型エレベーターで、地下の車両置場と修理工場は霊安室と祭壇用花の準備室になっていました。なるほどな使い方。
修理工場の名残が。
当時はイタリアンレストランや洋書店が併設されていたそうで、90年というバブルな世界観が浮かんできて泣ける。2002年に売却された先が葬儀場なのが驚きだけど、ギリシャ神殿の外観から内装・用途に至るまで見事に生かされていることに更に驚かされます。荘厳な見た目は斎場としてのイメージに引き継がれ、装飾にはほとんど手を加えずに椅子や照明など足すものは元の雰囲気に合わせたものをセレクトし、ショールームやレストラン部分は式場や控え室へ、地下は霊安室へ・・・。よくぞあなた方が買い取ってくださったとしか思えません。
設計の隈研吾氏の若かりし情熱と当時の時代の匂いがムンムンに詰まったこの建築。
結果的にド派手すぎて建築界では叩かれてしまい、目立った動きが見えなくなるものの、木材を多用した建築で再び注目を集めるようになり、書籍での発信も増え、歌舞伎座そして国立競技場と一躍日本を代表するスター建築家になりました。今回伺った話によると、コミュニケーション能力がすごい方のようで、これはどんな職業においても重要な能力ではあるけれど、こと建築家はオレのデザインを推し進めながらクライアントや周囲と調整し、部下を動かす能力が凄まじく必要だよな、きっと。
円柱が折れたモチーフ。
興味深いのが建物裏から見ると
のっぺりしてて何にも無いのです。装飾は表面のみ!
そういえば国立競技場も外から見た限り、表面以外のところは予算削ったんだなあって仕上がりになってたの思い出したよ。
私は散歩好きが建築好きになったのですが、常日頃思うのは、建築物は人々の意識を作り出すということ。その街に暮らし、通り過ぎる人々が目にすることで、無意識にその街の意識を形成してしまう。視覚的情報というのはとても大きい。だから建物だけを考えてはダメで、本来はその街そのものを考えて設計すべきなのでは無いだろうか。そう考えると、環八という交通量が非常に大きく行き交うだけの、街としての印象が皆無の場所にこのようなモニュメント的建築があるのはなるほどなあと思わせられる。
今回見学会ということで説明を伺ったり、参加者が発する言葉に気づきを得ることも多く、ただ自分で眺めるのとは異なる発見や納得の連続でとても楽しかったです。