「大学セミナー・ハウス」とは何か

中央線に乗って吉祥寺より西へ行くのは何年ぶりだろうか? 北野駅で下車し、丘陵を切り開いた車道を登るバスに乗り、野猿街道のテッペン「野猿峠」で下車。
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銀杏の黄色が濃厚に輝く中、見えてきたのは・・・
「大学セミナーハウス」1965年に開館した研修施設で、建築家 吉阪隆正による代表作として有名です。

高度経済成長期、マスプロ化した大学教育に疑問を抱いた、提唱者の飯田宗一郎氏の構想に共鳴した国公立私立大学の賛同者が設立発起人となり、財界の支援で発足した学生の教育の場を、吉阪がその〈こころ〉を〈かたち〉にしました。(3P)

以下、枠内は上記書籍より抜粋、( )内は頁とする。


10年程前に建物が見たくてここに来たことがあるのですが、さすがに内部をウロウロは出来ませんでした。しかしこの度、東京建築アクセスポイントさん(AccessPoint:ARCHITECTURE-Tokyo(東京建築アクセスポイント))主催による見学会で敷地から建物内部までじっくり体感することが出来ました。約2万坪という広大な敷地に幾つもの施設が点在し、野山を散策するように歩きまわっては建物を発見する悦びに満ちた見学になりました。



バス停から一本入った緩やかにくねる道を歩いて5分、丘の上に聳えるコンクリートの塊が!
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逆ピラミッド!こ、これは一体?


私がこの場所を知ったのはモダニズム建築(1999年「DOCOMOMO Japan」選定)としてですが、同行したY氏はウルトラマン仮面ライダーにおける悪の要塞ロケ地として幼少期に脳内に刷り込まれ(参照 http://korogata.blog.fc2.com/blog-entry-2339.html)、大学時代は共同セミナーで通った「思い出の地」とのこと。


敷地内には幾つもの建物がありますが一度に出来たわけではなく、当初計画に加えて時代に合わせて新たに作られ、まさに「増殖」しています。モダニズム建築は施工主よりは「建築家の主張」が全面に出がちで、あの強烈な造型ゆえセミナー・ハウスもそうだと思っていました。しかし、設立の経緯を知ると、提唱者の飯田氏の存在があってこそであり、彼の教育理念が建築家 吉阪隆正の建築理念と合致し、飯田氏の〈こころ〉を汲み取った吉阪氏が「大学セミナー・ハウスとは何か」を〈かたち〉にした結晶であることがわかりました。そして資金調達も土地の選定も飯田氏の情熱ゆえのもの。紆余曲折ある困難な仕事ではありますが、時代が生み出した幸福と希望に満ちた世界を感じます。

「飯田宗一郎のパイオニア精神と吉阪隆正の有形学」 齊藤祐子
60年の安保闘争に大学も騒然として時期に、設立の動きは具体化していく。三井銀行会長の佐藤喜一郎氏を世話人に設立委員会を立ち上げ、三人で足を運んで募金を呼びかける。そして、財団法設立へ向けて、国公立私立大学の同志が集まり、同時に、歩きまわって土地を探したという。1961年、すすきの原で富士山がよく見える多摩丘陵柚木村の土地を京王帝都から譲り受けた。中山の集落には茅葺きの民家が建ち、養蚕の桑畑に囲まれた丘陵地であった。(55P)



https://iush.jp/uploads/files/20210512112952.pdf

↑ 公式サイトにある案内図



↑ 地理院地図で土地の起伏を確認してみよう!



<1期>本館・中央セミナー室 1965年
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アイコンとして一度見た人に強烈な印象を残すこの造形こそが、「大学セミナーハウス」の理念を表しています。よく思いついたし、実現できたなあ・・・

吉阪が設計に参加するのは1962年11月。最初は建設資金のこともあり、設計施工で進めようと飯田は考えたが、「〈かたち〉は〈こころ〉であるから、若さと力強さが建物になければ、若人の夢を育てるセミナー・ハウスにはなるまい」と決断して大学の研究室を訪ねることにした。東大の丹下健三の名前も上がったが、ここは私学にと考えて早稲田の大浜に相談した。(56P)


そこで、アルゼンチンから2年ぶりに帰国したばかりの吉阪が推薦されたのも、飯田氏が持つ巡り合わせの力なのでは。
吉阪は自身の事務所を「吉阪研究室」と名付け(後に「吉阪隆正+U研究室」と改称)、模型と図面を囲んでディスカッションしかたちを決めていく方法を取っていたそうです。セミナーハウス本館も、数ヶ月に及ぶディスカッションのある日、研究員がピラミッド型の模型を何気なく逆さにした時に「これだ!」とひらめき、このあまりに突飛な造形を飯田氏は躊躇なく受け入れ、逆ピラミッド型は「大地に打ち込む楔型」となり、セミナー・ハウスの理念を明確に表したシンボルになったのです。〈こころ〉は〈かたち〉をつくり、〈かたち〉は〈こころ〉をつくるのです。

「大学セミナー・ハウス」の形はこの形以外にないのである。そして二度と使えないものなのだ。形とはそのようなものである。(30P)


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ホントに斜めなんですよ。



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黄色い橋が銀杏と合ってる。

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黄色の橋の上から見た図。丘陵の上からも入れるようになっています。

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赤く染まった空!

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光る眼は何を睨んでいるのか。こんな遊び心が良いなあ。


<内部>

外観の奇抜さとは異なり、中に入るといかにも「昭和の公共施設」ぽさが。でもところどころ「あれ?」と気になる箇所があるのです。
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明かり取りのデザイン性。

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傾斜のついた壁面に沿った棚にオセロや将棋が置いてある昭和っぽさ。

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教会のような美しさ。

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トイレのタイル使いステキ。

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最上階。ブルーシートは雨漏り対策かも・・・

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多摩ニュータウン方面の絶景は窓枠を相まって、絵画のよう。


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もう一つピラミッド型の「中央セミナー室」。内部には入らず。天辺はトップライトになっていて光が内部に注がれるそう。


高低差に富む広い敷地を散策するように建物を発見しつつ巡って行きます。


<2期>図書館・講堂 1967年
・図書館
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寄贈 三井銀行

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“ ars longa vita brevis ” 後で調べたところ、“古代ギリシャの医学者 ヒポクラテスの言葉で「技術の習得には時間がかかるため、時間を無駄にしてはならない」“

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遠くに富士山が!

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バルコニーの迫り出し具合、側から見ると超コワイ・・・

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裏から見るとこんな造形。


・講堂
図書館と隣接し、シェル構造の屋根で連続した建物。

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教壇がないのは「教師も学生も同じフロアで考え模索する」意図ゆえ。

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スチール製の古い窓枠。

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犬走りも散歩コースのような豊かさが感じられます。

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この木をモチーフにしたシンボルマークも設計したU研究室によるもの。

緑豊かな樹木の葉と宿舎の7つの群を示し、古来縁起の良い数と若芽の育ちをあらわした(26P)

<1期>宿泊ユニットハウス 1965年
本館と共に吉阪の設計思想が強く反映された宿泊施設。

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起伏ある敷地の高低差による小さな谷を1つの群れとみなし、セミナー室1つ+2人宿泊可能なプレハブ小屋10棟ほどが谷底で肩を寄せ合うように円く配置され、7つの群が点在し計100棟が並ぶ様は遠くから見るとまさに集落のよう。

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こちらは本館にあった建築模型ですが、全体像としてわかりやすいかと。

小さなプレハブ内には簡易的なベットと机のみ、トイレ浴室は別棟の共同使用。合板の簡素な作りはさすがに劣化し、設備面で時代とそぐわないこともあり、利用者が減少。開館40周年記念で新たな宿泊施設「さくら館」が建設されたことに伴い、2006年にユニットハウスの大半が取り壊されました。一部残してあるものはアート活動に活用されているそう。この廃墟状態が周囲の鬱蒼と茂る樹木と相まって、不思議な空間を醸し出します。

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秋の夕方の陽光と相まって輝くオレンジの樹々の中、何だかUSインディー映画の舞台のようでジーンとしました。。。

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<3期>松下館 1968年
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「松下」とは松下幸之助氏の寄贈に拠るため。研修に訪れた人々向けの宿泊施設。

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丘陵に沿って弧を描く形状で、ダイナミック!

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傾斜の高低差を利用した2層建、ぐるりと回ると迷路のよう。

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客室は1人部屋、2人部屋、3人部屋とあり、バス・トイレ付。

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ビジネスホテルのような雰囲気。内部の設備は更新しているようですが(Wi-Fiあり!)、外側の木造部分の傷みは目立つ様子。

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あの木のマークがここにも

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煉瓦のアクセント

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高低差がピロティを生んでいる。

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猫が昼寝中・・・



<4・5期>長期館 1970年
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赤い外観がかわいいこちらは、長期滞在グループ向けの宿泊施設。館内全体が「螺旋階段」状の複雑な構造で、柱を階段がぐるりと囲み、踊り場にあたる場所に「ベットと机だけがある個人スペース」が設けられ、3つの柱ごとに<赤・黄・青>で視覚的にグルーピングされている。長期滞在という場を活用し、この研修中のグループ意識を育んで欲しいという意図が感じられます。
説明が難しい館内の雰囲気、写真でなんとか伝わりますでしょうか?

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何度もぐるぐる回りながら訳わからなくなってきた・・・
異なる大学の教師及び学生間の交流の場が初期の目的でしたが、学会や社会人団体のシンポジウム等の長期滞在を踏まえた活用とし、土地に溶け込むような作りのユニットハウスとは意識的に趣を変え、室数が「増殖」可能なつくりになっていたそう。



<7期>国際館 1978年
これまで見てきた建築物から8年後、いよいよ国際化が進んでくることを見据えた交流の場として完成。これまでは国内の大学間が対象であったところ、各国からの留学生のオリエンテーションや宿泊所として利用。麒麟麦酒株式会社の寄贈による。
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山小屋風な作りだけど、そっけなくて建物としてはあまり魅力を感じなく写真もほとんど撮らなかった。

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<8期>インターナショナル・ロッジ 開館20周年記念館 1989年
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松下館と向かい合うように建てられ、雰囲気の違いに建設年度を感じます。内部には入らず。


広大な敷地全体は多摩の自然を残しながら建物が点在することで、野山を散策するような楽しさがあります。自然環境を活かし、地形を読み込み、それぞれの建物の位置も形もあるべきところに収まっていることに驚かされます。20年もの歳月を掛けて一つの集落を作り上げ、ここに集う人々は交流し、都度入れ替わり、今の呼吸で息づいていくのです。
敷地内の沿道にはこの場を利用した歴代の大学生グループが記念植樹のプレートが並んでいて、記載されたそれぞれ異なる西暦年数になかなかグッとくるものが。同行したY氏の大学時代もここにあるのだなあと想像し、懐かしさに涙ぐまないかと期待したけどそれはなかったね・・・


本館には「思想は高潔に 生活は簡素に」との標語が掲げられています。これは飯田宗一郎氏が生活信条としてワーズワースの詩「Plain living and high thinking」から取られた言葉であり、セミナー・ハウスの構想と結びついています。飯田氏の熱意と実行力が財界人を動かし、理念を理解し深めることの出来る気鋭の建築家と出会うことで見事に具現化し、時代に合わせて変化しながら、信条が継承されて活動を広げているーーーなんて凄いことだろうか。大学時代にここで過ごした経験があるY氏を見るに、飯田氏の思想は学んだ人々の血肉になっていると実感するのです。


歴史的な時代背景を踏まえると、感慨深いものがあります。折りしも昨今、日本最大の規模を誇る某私大の不祥事が問題になり、起業家として名を馳せた社長自らが宇宙に旅立った報道がありましたが、「世の中を良くしたい」夢と希望に賛同するノブレス・オブリージュな思想も財力も体力も、今の私大や財界人には最早すっかり無いのだろうなと思わざるを得ません。


しかしセミナー・ハウスも教育の場を超えて、自然保全団体や地域ボランティアなどによる多彩な活動の場として提供されはじめ、多摩地域も大規模な住宅街となったことから、周囲の住民との繋がりも増えたようです。早稲田大学などの学生がメンテナンスのボランティアをすることで、この場所の意義を再発見し再生していく試みもあるとのこと。コロナ禍に於ける活動は厳しい状況ではありますが、飯田宗一郎氏が提唱した理想郷は変わりゆく時代で如何に生きていくかを学ぶ場として、次世代に継承され、今新たに存在が見直されていくのではないでしょうか。

大学セミナー・ハウスとは何か』 飯田宗一郎
私が理念を表現すべく考えぬいた末に創った造語である。(25P)
その問に対し、「建物と人間と理念の総合」であると私は答えている。(26P)



●ディティールなど・・・
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本館のトップライト
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モダンな照明器具
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室内扉のドアノブ。シュッとした形状が素敵
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クマー。
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講堂の天井照明器具。
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葉をモチーフにした手摺。
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数字カワイイ
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お地蔵様のような。


東京建築アクセスポイントさんは「東京にある建築文化資源を通じ、社会と人を結びつける公益性のある活動を幅広く展開」されていますが、今回の見学会開催にも心から感謝いたします。


【これまで書いたモダニズム建築記録の一部を以下に載せます】
mikk.hatenadiary.jp
↑ こちらの見学会も東京建築アクセスポイントさん主催のもの。

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