ソングス・フォー・ドレラ

映像が4Kリマスターで公開されるのは知っていたけど、公開中と気付いたときには既に夜遅めの見にいきにくい時間帯になっていた。不覚。


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先日"ときのわすれもの"で「ソングス・フォー・ドレラ」リリース当時の記事や広告を見ていたのに。この展示は栗山豊さんが蒐集したウォーホル資料の山がとにかく凄まじかった。ウォーホルに関するありとあらゆる紙媒体記事がひたすら、ただただ、そこにあった。不思議な熱量だった。ウォーホルも栗山さんももういない(栗山さんはウォーホルの命日に亡くなったことにも驚かされる)のに、熱が積み重なっていた。熱にうなされたかのような蒐集と展示は稀代なる「アンディ・ウォーホル」だからこそ可能であり、栗山さんの好きが高じた長年の行為はアートであり批評でもあった。時代の熱がそこにあった。その熱をきちんと掬い取った"ときのわすれもの"さんはさすがだなあ。「ソングス・フォー・ドレラ」と同時期で開催なのだから、双方がうまく繋がればよかったのにな。こういうとき、ネットでの情報収集の限界を感じ、ぴあの有り難さを思い出す。



さて上映時間を調べると、20時台からなんと朝の9時半に変動していた。これはもう年寄り向けである。1時間ほどの作品なのも眠くならずに良い……。なんなら平日観てから会社行ってもいいんじゃないかと思いつつ、土曜日の渋谷に向かった。
いやはや、休日の朝イチで観るには凄まじすぎた。ルーさんの声が脳内に響きながら歌詞が目に焼き付き、1曲目から涙が出た。

「田舎町のいいのは逃げ出したくなること」

思い出したのは、高校のときにバイトをしていたレンタル店だ。田舎から早く出たかった日々。暇な土日の朝はヴェルヴェッツをよく聴いていた。置いてあるミュージックマガジンや宝島を読みながらボーッと眺めていた自動ドアからの光が蘇ったことも涙の起因だろう。アルバムのジャケが店のカウンターの上にある光景が記憶に残っている。あの頃リリースされたアルバムはこんな景色とともにある。

それにしても。ルーさんの声は心を揺さぶるし、ギターの説得力と殺傷能力の重みたるや。体に突き刺さりっぱなしだった。ああやっぱり好きだなあ。どうしようもなく、惹かれてしまう。ジョン・ケイルのルーさんを見つめる眼差しが切な苦しい。ルーさんが作り上げる世界観を更に広げるピアノやヴィオラの音色と重なって、複雑な気持ちがワイヤーのように絡み合う。


緊張感を孕みながら表面上は淡々と進むからこそ、最後の「ハロー・イッツ・ミー」が殊更に胸に響いた。漸く自身の視点で想いを語るルーさんの表情に、ガス・ヴァン・サントの「永遠の僕たち」のラストシーン、ヘンリー・ホッパーの表情を思い出した。
mikk.hatenadiary.jp


おやすみアンディ、おやすみルー。さよなら。


思い出しても泣きそう。素晴らしい1時間だった。
映画館で上映することで映像と音に没入でき、歌詞対訳を目にしながら聴くことで殊更グッと胸に響いた。ウォーホルへの言い難い複雑な想いが痛切に感じられた。歌詞と共に2人の目線や仕草を近距離で把握できることもこの特異な作品の理解を深めた。これは映像だからこそだ。DVDリリースされていなかったのはフィルム紛失によるもので、閉鎖されたNYのスタジオに残っていたものを監督のエドワード・ラックマンがコロナ禍に調べたところ見つけたのだそう。
diceplus.online
30年の歳月はあっという間なのか長いのか。ウォーホルへ惜別の言葉を呟くルーさんももういないし(当時47歳と気が付いて震え……)、彼は今のアメリカの政情をなんと言うだろうか。
あの頃の記憶の中に灯される映像はクリアで美しい過去として再生された。上映に尽力くださった方々、ありがとうございました。


90年当時は過去と今を同時進行で吸収していたなあ。そして「KISSxxxx」のイメージアルバムが出たんだった、dip the flag "waiting for the man"カバーが衝撃的で、ヤマジカズヒデを知り今に至るキッカケだった。今回の映像もルーさんのギターを聴きながらヤマジさんのギターが重なった。もうすぐライブだから嬉しいな。ヴェルヴェッツカバーやるかしら。