わたしいまめまいしたわ

東京近代美術館*1にて。

現代において「わたし」の根拠を問い、「わたし」を取りまく世界を認識し、「他者」との新たな関係を切り拓こうとする作品を集めて、それらを複数の視点からご紹介します。

ということで自画像を手始めに構成されているこの展覧会は、らしからぬ展覧会タイトル(回文!)からしてキュレーターの意気込みがプンプンと匂ってくるわけで、少々懐疑的な気持ちとそれを払拭してくれることを期待しつつ向かったものの、結局それ止まりの印象。
先に引用した部分、いや敢えてそんなこと今更言われても・・と思うのは当然で、企画書の見出しのままというかなんというか代理店的ニオイプンプンというか、「わかる!○○」みたいな新書読んでるみたいで・・。このタイトル、服部一成によるポスターのデザイン、パッと目を引くし興味を持ってもらえるのは確か、現に私もそうだけど、にしてもお膳立てすぎやしないだろうか。

昨年末東京現代美術館で「アートとデザインの遺伝子を組み替える展」を見たけれど、これもそういう印象だった。新しいアプローチを提示しようとしているのはわかるけど、大層にそんなこと言わなくてもいいじゃん。「アート」とか「デザイン」とか「クリエーター」とかなんかこう、痒いヨねえ。白く天井の高い空間とぽんぽんぽんと置いてある作品のバランスが妙だった。作品あってこその展覧会なのに、美術館側のエゴのほうが強くってなんだかなあって。
美術展がただの美術展で終わらせないために昨今、「プライスコレクション・若冲と江戸絵画展」や「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語」など一般的とは言い難い部類が「編集」によって広く「発見」されるようになったのはキュレーターさんの力が大きいけど、そこから先の広まり方としてブログの影響も大きい今、提示のバランスの難しさを感じてしまう。

話を今回の展覧会に戻すけれど、中盤に牛腸茂雄の「SELF AND OTHERS」全60点がまとめて展示されていた。こうやってプリントで真正面から見ると、写された人々のまなざしがまっすぐわたしを向いていてぐっとくる。これまで写真集で見たときは視線は幾分斜めになってしまうから、今回真にこの作品と向き合えたように思えた。私と写真に写るひとびととの距離感、そのあいだの空気を感じ取り、そして私が向き合っているのは目の前の写された人々ではなく、牛腸茂雄自身なのだということを改めて思った。このあいだ公開した佐藤真監督*2による映画、見に行きたかったな。

*1:http://www.momat.go.jp/Honkan/Self_Other/index.html

*2:阿賀に生きる」と「阿賀の記憶」は今もこころに残る映画だった。(→感想)亡くなったというニュースには驚かされた。