音冷房

残暑お見舞い申し上げます。
熱波な空気をひいやりしてくれる音盤を。

Jardin Au Fou

Jardin Au Fou

Frozen Silence

Frozen Silence

Segundo

Segundo

STARNET MUZIK 014 湿度計

STARNET MUZIK 014 湿度計

guitar solo #1

guitar solo #1


クールダウンな気持ちで世の中が包まれますように。

”all about cornelius"を読みながら思い出すこと

cornelius旧譜リマスター、「point」とともに「The First Question Award」も発売されたので驚いた。気恥ずかしくなるような、90年代前半の音とアオイ声が詰まったアルバム。”「アメリカで『POINT』をリイシューしないか?」という話があったので、「じゃあ、1stアルバムも一緒に出そう」”という経緯だと、以下の記事にて知る。
www.cinra.net


今回、映像作品「Mellow Waves Visuals」、更に書籍「続・コーネリアスのすべて」と関連4作品がリリースされて流石に一括購入は厳しく、この2つをユニオンで買った。

Point

Point

別冊ele-king 続コーネリアスのすべて (ele-king books)

別冊ele-king 続コーネリアスのすべて (ele-king books)

ちなみに店頭で気づいて、YBO2の2004年ライブ盤も買った。栗原さんがギターの。


「point」、ジャケの青マルが特殊加工でザラッと浮かんでいるのが良い。そんな触感同様に、音の粒が磨かれた感は確かにある。ズゥン!と落ちてヌケる音の気持ちよさ。無菌室にいるのに宇宙まで広がる開放感がある。ラストのパスっとした無音!だからボーナストラックが収録されているのが残念だったなあ。「続・コーネリアスのすべて」は盛りだくさんでまだ読み切っていないけれど、とてもおもしろく発見がある。インタビューで当時のことが語られると、私も当時のことを思い出す。小山田くんの音楽活動はそのまま私の音楽遍歴と重なるのだ。


フリッパーズを知ったのは、近所の喫茶店(ここの店主に中学の頃マット・ビアンコやETBGのレコードを借りた)で、後にバイトすることになるレンタル店のお兄さんが読んでいたフールズメイトだ。高1の夏、商店街のCD店に1枚だけ入荷した1stを買った。カセットテープにダビングして、買ってもらったばかりの赤いウオークマンで自転車通学中に繰り返し聴いた。高2の夏は2ndリリース前にポスターを貰って部屋に貼った。先述のレンタル店でバイトを始め、店主にリクエストして入荷してもらった盤を聴きながらレジで宝島を読むという、働きぶりだった。東京へ行き、ヴィニールやハンターに行った。何しろ挙げたらキリが無いほど「人生の大名盤」がリリースされまくった年であり、フリッパーズが語る盤を追うような毎日は、まさに夏休みだった。高3の夏は3rdを買いに行った帰り、この頃足が痛いので外科に行ったら、数日前に学園祭の用意で暗幕貼ってた机の上から落ちたときに、足にヒビが入っていたことが発覚し、即入院。枕元に置いたまま聴けたのは1週間後だった。そもそも勉強しないくせに、東京に行ってフリッパーズの(だけじゃないけど)ライブを見るんだ!って誓ってた。さすがに勉強しはじめた秋に、突然の解散(によるライブ中止……)を新聞の社会面広告で知った(ギャラクシー500もね)。呆然。


なんとか進学できて上京した。zest・HMV・WAVE・CDぴあにはほぼ日参し、狛江に住んでいたので(路線上の)下北も馴染みの街になり、zooに行ったりもした。小山田くんがDJすると知り、インクスティックに行ったときもあった。サバービアなイベントだった。私は所詮ロック脳だからか、サバービアでフリーソウルでクラブ・ジャズなノリにハマれなかった。遂にリリースされた小山田くんソロがジャミロクワイ(zestで「ソウルフルな声のオバサンだけど詳細不明」ってプライスカードに書いてあった記憶)みたいな音だったから、エエーっと思った。ピンと来なかった。1993−94年当時の私はステレオラブとブラー、dip(UKP 1st!)だったのだ。


2nd「69/96」の音にもハマれなかった。過剰で煩かった。それは1995年、小沢健二が大ブレイクしていたし、小山田くんもカヒミもテレビに出るような状況に嫌気が差していたこともある。なにより、moonwalkの色違いカセットやポータブルレコードプレイヤーなど「渋谷系」と名付けられるものが次々と消費されてく様を目の当たりにしていた。(そもそも、©Tシャツもねえ・・・)音楽で浮かれるならば私は1階JPフロア太田さんではなく、地下洋楽フロアのブリットポップだったし、クワトロWAVEだった。


97年、喧騒がお祭り状態で膨れ上がる中でリリースされた3rd「FANTASMA」にもやはり入り込めなかった。特製イヤフォン付とかそういうのにもうんざりだった。「トレインスポッティング」のサントラが売れ、SpiritualizedYo La Tengoまでもが盛り上がった頃。mogwaiPortisheadも好きだった。ciscoオルタナ店によく行っていた。
その後生活環境が変わり、思い入れあるアルバムはパッと思い浮かべられない。引っ越したせいもあるけれど渋谷はたまにしか行かなくなり、新宿駅横の商業ビルにタワーレコードが移転して、ユニオンと合わせて行くことが多くなった。


そうして2001年「point」には安堵する驚きがあって、ソロで漸く、好きな盤となった。思い返せばリリース前夜の2000年聴いていたのは、ヨラの「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」とか、idaやL'Altra、eelsだった。小山田くんが「情報の洪水に疲弊した」と言っていたけれど、こういう音楽を作りたくなる時代だったのかもしれない。評判が良くなくて売れなかったそうで、今のようにネットで反応を知ることも無いから、そうだったの?!と驚いた。この頃高円寺の外れに住んでいて、ライナスレコードや、開店したばかりのsmall musicに通ったりしてた。


2006年「SENSUOUS」リリース時はY氏レクチャーで音の聴き方が変わったことで、進化した音をもっときちっと深く聴くことが出来るようになった。ただ聴ければいい、ではなくて。HMVとかワルシャワとかsome of usとか、「渋谷でレコハン」が復活した。特にHMVは「素晴らしきメランコリーの世界」「ボルヘスに聞け」とかコーナーがすごく面白くて楽しかった。


こんな回顧を書きたくなるほど歳を取った。何しろフリッパーズ1stから30年だ。あの夏は今年のような酷暑ではなかったはず、と調べてみたら、今月に入って最高気温35〜33℃/最低気温25〜26℃のところ、89年は最高30〜31℃/最低23〜24℃って。ホントに違っていた。

7月から8月

8月最初の土曜日。外は暑すぎて歩く気になれないだろうから、夕方まで家でダラダラかなといった塩梅。なのでこのところの日々のあれこれをまとめて備忘録で綴ることにします。


7月はとにかく曇りと雨だった記憶。終わり頃にいきなり暑さ弾ける!って展開は、ポストロック的である。


7月21日 Pitchfork fesがリアルタイムで配信されてたのを見る。ステレオラブはやっぱりサイコーにかっこよくて、ほんっとに嬉しい!ベルセバは「天使のためいき」再現ライブ。リリース当時HMV渋谷の新譜の壁に面だしされた光景は忘れられないし、この唄声とメロディを大切にひとり聴いたあの頃があったと思い出しながら泣いた……。こんなひとりぼっちな唄を、海外フェスでの演奏でオンタイムでおうちで見ている不思議さよ。


7月26日から3日間はフジロックライブ配信で。いやー、ほんとに未来になったものだねえ。ヤマジさんは今年もあの布陣で。大編成では埋もれてしまうところ、カッと切り込まれるギターの「如何にも」な音色に痺れたり、後ろで淡々と弾いてる姿が不意に映ったりするのを楽しむ、マイノリティなワスのおうちフジロック。にしてもフェス眺めてると売れるのと売れないの差を考えてしまう。マイノリティのなかのマスへの吸引力ってなにがポイントなのか、ねえ。
最終日のcure。中学の頃、初めて聴いたときの印象のままの、翳ったりキラキラしたり、森の中を彷徨うような音と、唯一無二な声。ほんと、あのままで「今」鳴ってて、うちでオンタイムで見ている、そういう未来があるのだなあとしみじみした。あとところどころdip味を再発見したり(またそこか!)怒涛のアンコール、最後に「boy don't cry」 あああああありがとう!!
かなりな悪天候だったのにタフに乗り切れる人々が集う場なんだなーということも再認識した。


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7月27日、汗かきながらIF入って、「サマーフィーリング」見て外へ出たら、日が落ちてきたし暫し歩いたらこんな一瞬の輝きに出会う。


7月28日、暑いよぅとだらけながら入った喫茶店ではslowdiveの3rdがかかっていて、一気にひんやりとした。熱い珈琲をちびちび飲む。向かいのテーブルには若い女性が2人いて、それぞれスマホを見っぱなし。時々お互いポーズ決めて写真撮り合う光景に、SNSにこうやって上げるんだなあと理解。



uminecosounds / ジリジリ
8月定期ポスト。どなたかが書いてらしたけど、uminecosoundsは青春の一片だったなあ、夏の思い出のような。もはやそんな印象がある。古里さんのつくるカレーも大好きだけど、唄声と曲も大好きなんですよ。


8月2日。昨夜はいつもと違う駅から歩いた。日が落ちても、昼間に蓄え続けた暴力的な熱気は残ったままだった。ふと角を曲がると坂があり、登り切ると、あ!と思わず声を上げた。
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若い頃に憧れた、手の届かない場所がそこに眠っていた。
階段を上がり、路地を幾度か曲がるたびにふっと風が差したけれど、やっぱり熱波の中だった。そうこうしてたどり着いた「月の青い部屋」の中に浮かぶ海の輝きに泣いた。オレンジの薫りが漂った。
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21時。外へ出ると空気の熱がようやく落ち着いて、気持ちよく歩けるようになった。