3月の終わり、4月の初め

3月7日(土) 昼前に外出したときは晴れて寒くはなかったけど、夕方急に寒くなった。そんな天気のように私の心も不安定。髪を切ったけれど心は晴れず。夕飯はメカジキと菜の花をフライパンで焼いたの。



3月8日(日) 朝から寒く風も強い。冬のコートとストールで外出。松濤美術館にて「顕雲 ― 白井晟一研究所の図面」を観る。
shoto-museum.jp
白井設計であるこの空間に飾られる図面はまさに作品。書かれた文字が書体のように正確な美しさ。その後喫茶店で本を読む。美術館も喫茶店も「撮影場所」になってしまったものだなあ。家の手前でいつもと違う道を歩くと、白い木蓮が咲いていて鳥が花弁を啄む姿に光が差していた。



3月9日(月) 郵便局に行くとかなり混んでいたので、5人ほどの順番待ちとなった。そこへ入ってきた高齢女性が番号を取らないままカウンターに行き要件を伝えたので、順番を取るよう促した局員の声色が柔らかな丁寧さで印象が良かった。ああ私はあんなふうに言えないなあと我が身を振り返る。私の番になった際も「お待たせしてすみません。今日の混み具合は私もびっくりしちゃって」と言う朗らかさがとても良くて「いえいえ、月曜ですしね。忙しくて大変ですね」と伝えると、「そんなことないですよ、私はむしろ楽しいですけど、お待たせしてるお客様に申し訳なくて」なんて返すことが素晴らしく、私もこんな対応をできるようになりたいものだよ・・・と呪詛ばかり念じている自分を恥じた。

SNSで加速する言葉の世界の中で、映画や文化が持つ複雑さ、曖昧さ、遅延を守ること。それが、今の時代において文化が果たしうる最も重要な役割の一つではないだろうか
note.com

バズりや二元論、数値でジャッジされてしまう昨今において、複雑で曖昧で、だからこそ後から効いてくることを除外せずに守る、砦を、灯火を、絶やさぬように。



3月10日(火) 今日も寒く、出がけに降っていた雨は会社にいる頃にはぼたぼたな雪になっていた。帰る頃には止んだものの家の中が寒過ぎる。ストーブのコードを丸めてしまったので解くのもなと、膝掛けに包まるしかなく、凍え死にそう、家なのに。



3月11日(水) 駅へ向かうゆるい坂道沿いの木蓮は数ヶ月前にバサリと切り落とされてしまい、毎年この時期になると見上げる白い翼を見ることは叶わなくなった。人様の庭なのに我が物顔で言うのもなんだけど、切ない。けれど15年前に目を奪われたあの姿で今も私の心の中で咲いている。



3月12日(木) 前の部署で一緒だった人と話すと、私元気になったもんだなあと実感する。帰りにnakabanさんの個展を見る。仄暗くマットな色合いはnakabanさんの色だなあ。見つめていると絵の世界に誘われる。



3月13日(金) 4月から業務がテンコモリがわかってるけど現時点で具体的に進められないことが歯がゆいのに、猛烈に暇。暇すぎるので、私最近食べる量増えてきたと気が付いた。心と胃は繋がっているのね・・・。とはいえ昨日から口内炎が奥に出来て腫れてきたのよよよ。/帰宅途中、いつものの道から一本入ったとこで咲く木蓮を見上げる。

朝ドラ、ニシコーリの力が無いけど気力がある声色に泣いた。



3月14日(土) 朝鍼灸院へ。口内炎の話をしたら、足のアーチを揉むことを薦められた。その後タカイシイにて、掛井五郎 「人間の問題」を観る。ここでは油彩画、90年代前半と思われる作品でモデルのでっぷりしたカタチ、花の凛とした佇まい、濁りある色合い、手の動きが見えるような塗り方。ああ好きだなあ。あの頃は楽園だ。
www.takaishiigallery.com
→茅場町のギャラリーには久々に来た。 奥山晴日写真展「- Unseen -」 、素晴らしかった。"見えないもの"を映し出している空気が感じられて立ちすくんでしまった。広く静謐な空間で観たい。古道具坂田などで写真を担当された方とのこと、対象物が抱えてきた時間を掬い取れる眼力があるのだろう。
artsticker.app



3月15日(日) よく行くカレー屋さんのスタッフの方が独立開店されたので伺った。店内の色や小物に彼女の人柄を感じ、カレーも美味しかった。ずっと空いてた古い店舗にご夫婦2人で営むカレー屋が出来て、しばらくして入ったスタッフとして頑張っていた彼女が自分の店を持つ、親戚のオバチャンのように感慨深いものである。

チャイのカップがカワイイ。
移動して新宿、人が多すぎて目的果たせず。早々に撤退。ほんとうに人が増えすぎてて謎




3月16日(月) まだ肌寒い。/ 本屋に行くと「言語化する」がタイトルや帯に乱立していて、今の流行り言葉のようだ。何らかに対して脳内に巡る思いや考えを「言語化」は大切な行為だけど、「言語化」出来ないことは切り落とされそうな怖さがある。というか既に世の中はずっとそんな感じか。わかりやすいカテゴリに種別できないものは見捨てられると言った具合の。



3月17日(火) 朝晩は寒い。桜はそろそろ開花という報道が信じられない。/ 朝ドラ。仕事もせずダラダラな司之介という人柄の描き方はいったいなんなんだとずっと思ってたけど、今日のために誂えたと言っても過言ではない。時代や環境の変化についていけなくなったり、自分の(役割の)終わりを気付かされて、世の中から引導を渡されて、「自分はオワリニンゲンになってしまった」とぼんやりと虚空を見つめるしかない[あの感覚]を「わかるよ」と受け止める人。



3月18日(水) 係長が「来月上旬に他係からデータ来るから」と言われた案件は、そのあとの事務作業を考えてないことが明らかで、パスはこのまま受け止められない!とアタックで打ち返した。無理なことは理由を量と重さで伝えて、打ち返すときに隠し球を持っておくこと。/繁忙期が始まったなあという事象のあれやこれやが降ってきた。やる前に気持ちが重くなるタイプだと自認してるけど、なんとか終わっていくから心に置かないこと。



3月19日(木) 本屋のエッセイ棚に「60歳からあたらしい私」という本が並んであり、ナルホドと思うと「70歳を越えたら〜」だの「80代、いつも〜」ナドナド次から次へ、そうね50代でフガフガ言ってちゃいけないね・・・と思ったけど、篠田桃紅は107歳、老衰で死去だった。
桃紅一〇五歳 好きなものと生きる



3月20日(金) 祝日。朝から雨、昼前には止むと思ったらずっと降って寒い中、随分久しぶりの、焼き菓子店へ。初めて行ったころは店主ひとりのとても小さい店舗だったけど、移転して広い店舗になり、若いスタッフ数名が接客をし、店主はガラス越しの厨房にいるようになった。今日はちょうど並びもなくて選んでいると、「お久しぶりです」と挨拶してきた人は店主だった。驚きながら「わあ、こちらこそお久しぶりになっちゃって」とご挨拶して、いくつか選んで包んでもらっている間、店内を見渡すとBGMは相変わらずUKギターポップだし、手作りの飾りがあったりして、大きくなっても店主の好きなものが詰まっているなあって感じてニコニコしてしまった。「やっぱりここはうきうきしちゃう気持ちよさが詰まってて、いい空間ですねえ」と商品を渡してくれた店主にお伝えして、笑顔で「お菓子楽しんで〜」と送ってくれた。帰宅して袋からお菓子を取り出すと、「久しぶりにお会いできて、お元気そうで、嬉しかったです」とメモが入ってて感激。彼女のこんなお人柄がつくるお菓子に詰まっているし、広くなった店内にも、彼女のもとで働くスタッフさんにも伝わっているし、だからこそ人気を呼び、なによりもずっと続いていることが素晴らしいな。



3月21日(土) 浜松町にて「槇総合計画事務所60年展」、会場の大型再開発ビルも槇さんの事務所が手掛けている。
www.maki-and-associates.co.jp


時系列で並ぶと、初期から一貫してオフホワイトベースの、グリッドで構成されたシンプルで端正な印象で、だからなのか官庁社や大学が多い。代表作であるスパイラルやヒルサイドテラスはある意味特殊例なのかもしれない。今回の会場であるブルーフロントシバウラはゆりかもめの高架に沿ったダイナミックなエントランスが映えていて、下記のインタビューを読むと「今一般の人が評価するデザイン」ということなのかもしれない。

都市や建築のデザインにおいて一番重要なのは「一般の人にどう評価されるか」ということです。
dora.or.jp


向こうでピーピー警告音が煩いなあと思ったら、巡回ロボがカクカク回っていた。こんな写真を撮った私は不審者としてデータに残るのだな。
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このあたりは久々に来たけれど、高層ビルが増えた路地裏には粋とか情緒なんて言葉は風前の灯で浮かんで消えた。かつて歩いた記憶があるから浮かぶこの感覚は、暮らし働いて過ごした人が建物ごとごっそりなくなれば喪失感すら生じないのだ。記憶は記録として看板に刻まれる。





ちょっと歩いてこちらも久々の珈琲豆屋さんへ。高齢の店主さんは焙煎中、耳は遠くなったけれどお元気でよかった。
ここからどうしようかなと考え、電車に乗って一気に横浜郊外の住宅街へ移動した。地下鉄は地上に出て川を渡り、ターミナル駅で下車、地下鉄に乗りかえる。子供連れの家族、高齢者、たくさんの人が行き交い、辿り着いた駅で下車。駅前は大きなスーパーがあるだけで、公園に繋がっている。野山を切り開いて造成した街だ。さっきまで屋形船が泊まる街にいたのに!





谷間を歩く楽しさよ。


ひとつ野山を越えて、春が見えた。

住宅が並ぶエリアになると整備された歩道に変わる。足元のタイルはきれいで割れは見られず、周囲にはパンジーで彩られ、キノコ型ボックスのまちかどライブラリーもあり、自治意識が高い街だと感じた。

80年代に出来たと思われる分譲団地脇の商店は寂しい雰囲気はあるものの、荒んだところはない。若い家族も高齢者も通りかかるけれど、歩道にはゴミひとつ落ちていないし、スマホを見ながら歩く人もいなかった。子供達は変に奇声を上げることなく遊んでいる。そういえばさっき、公園近くで女の子3人が摘んだ花を持って可愛らしかったな。
さて、東京から移転した店で休憩。随分広い店内をひとりで回す店主はお疲れの様子も感じるけれど、好きなもので飾られ、静かにヨラテンゴがかかる中でこんな本を読むのに合いすぎる空間だ。
fugeisha.base.shop
70〜80年代のニュータウンをどうするかはよく挙がる問題のひとつだけど、継承されていくには「この土地の空気」を長年かけて造り続け、誇りを持つ人々が暮らすことに尽きる気がする。その空気を感じ取った人が血縁関係なく移り住むようになれば新陳代謝して続いていく。
一山越えると、家屋や道路からの雰囲気が急に変わり、車が行き交う大通りになり高速道路に繋がっていた。



3月22日(日)

記憶のないところに、喪失は生まれない。豊かさの記憶は、それを持っている人にしか見えない。そして記憶を持たない人は、失ったものを取り戻そうとも思わない。
(略)
それらは単なるノスタルジーではなく、「そういう世界もあった」という想像力の根拠になる。想像力こそが抵抗の最初の形だ。失われた選択肢の輪郭を言葉にして残すこと。それこそが平和への第一歩なのだ。たぶん。
「定食と平和」海猫沢めろん

今朝の日経新聞 文化面より。このエッセイに導かれたような日だった。

商業施設のイベントへ。エントランススペースで、大きなスピーカーからアンビエントが流れてる。なんて凶悪なアンビエント!この音を背景に子供たちがはしゃいでる。主催者側がどの程度意識を掲げているのかわからないけど恐らくは30代で、こういうマジョリティな場を冷笑して蔑むことなく、正面に立ち挑んでいることに驚きと時代の変化を感じる。世の中を分断せず蛸壺にならずに、無意識なレベルを意識的に作り上げること。

帰りに近所を散歩、大きなマンションの奥にひっそりと咲きはじめた桜を見上げていたら、犬を散歩中のご婦人がいらっしゃり、「ここは昔幼稚園で、そのときからの桜なのよ」と声を掛けてくださった。誰かの記憶がその場所が失った景色を伝えてくれる。



3月23日(月) 昼間とんでもなく眠くて何度も席を外す。内示発表、異動はやはり無くてホッ。



3月24日(火) 上司に4月から開始する業務の話を振られ、てことは上司は残留かと思いながら調べたりして、あっという間に夕方。妙に疲れて、みぞおちが気持ち悪い〜と帰宅後Y氏にいうと「そりゃあ、明日の夜のために緊張してるんでしょ」と言われる。



3月25日(水) 雨の降るなか渋谷へ。映画館以外で歩くの久しぶり。こんな日に渋谷西武閉館を知る。若い頃に西武での思い出があるというよりは、ここを起点にロフトやシードやパルコ、そしてアチチやオタンジャディス、HMVにWAVE、ZESTへと歩き回った街だった。そんなことを思い出しながら、Bunkamuraザ・ミュージアム 「高木由利子 写真展」を観た。

約40年にわたりアートとの出会いを紡いできたザ・ミュージアムの現展示室にお入りいただけるこの貴重な機会をどうぞお見逃しなく。
www.bunkamura.co.jp

会場構成を田根剛が行なったことで、今までにない展示手法になっていた。天吊りの臙脂色の布に写真が貼られているのだけど、キャンバス地にプリントされているのです。あと、ガラスケースの中に展示されていたり。最後にこんなかっこいいのしてくれるなんてなー。


写真撮影可なのでちょっとだけ。
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このミュージアムも何度も行ったけれど、地下に降りるエスカレーターからの景色好きだったな。





89年開業の流行りが感じられる照明器具やタイル。
note.bunkamura.co.jp
www.bunkamura.co.jp


Bunkamuraにいた人々は概ね40代以上だったし、過度に写真撮ったり煩い人はいなかった。洗練された大人のイメージがあった場所だったなと思ったのは20代の頃で、そのイメージとはほど遠い大人になった私はこのあとクワトロでdipのライブを観たのだけど、歳を取ることで得た喜びに満ちていた。その話は別途。
20代の頃近くのCD店で働いていた。休憩のときにBunkamuraの裏にある階段に腰掛けていたときにル・シネマの制服を着た人がいて、話したことがあったなあ。

ル・シネマに向かうこのエレベーターを何度待ったことか。ル・シネマは一時期「筑紫哲也(の番組で紹介されがちなマダム向け)映画」上映館の雰囲気があったけど、宮益坂下のビックカメラの上に移転後のセレクトが素晴らしく、映画館はハコではない時代になったともいえる。
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百貨店の呼び水として美術館や映画館が作られた時代は終わったし(そもそも百貨店が!)、渋谷は目的の場所に行って帰るだけの街になった。



3月26日(木) 仕事での知識が足らないので勘違いして狼狽えてたのはアホなだけだったり、上司の二枚舌に気付いてしまったり、なんかヤダねえ。



3月27日(金) 年度末の金曜日は特別感。無事に迎えられてよかったなあ。



3月28日(土) 下北へ。昼ごはんのサンドイッチを頼んだところでその店に古里さんがメンバーと来たからビックリした。でもちょうど注文が詰まっていて時間がかかるということで帰られてしまったけれど。その後古里さんの新バンド風呂敷のライブへ。

提灯ぶら下げて、笠を被って。ライブが非日常ではなくご飯茶碗のような。しみじみ楽しい。感情を"増幅"しなくてもシンプルに手を掛ける。MC「初めてデモテープ作ってレコード会社のショーケースライブで来た下北で、ご飯食べたのが大戸屋で。ここ(会場のLIVE HAUSは元大戸屋なのだ)じゃん!て」「僕が尊敬するギタリスト ヤマジカズヒデはエフェクター、僕の倍くらいはたくさんあるのに並べるの超早いんですよ、すごいの」 古里さんのサービス精神をありがたく堪能。

ユニオン覗いてからギャラリー下北沢アーツへ、波田佳子「Strange Groove」を見る。イズミさんのツイートで知ったのだ。赤青カラフルで鮮やかでニコニコしてしまう。絵本にサインをいただいた!
shimokitazawaarts.tokyo

下北の緑道は桜が咲きしあわせな空間。その後移動しY氏と合流して、桜並木を歩いて帰った。



3月29日(日) 晴れ。Y氏と池尻に再オープンした旧中学校を活用した複合施設へ。 若い親世代が子供がいても変わらずに休日を楽しめる場としての要素を感じる。その後渋谷へ出て初めて宮下公園の商業施設へ。意外と人少ない。上の「公園」は若者が動画撮ったり集ってるというけど「稼ぐ施設」としてはどうなんだろか。どんより暗いイメージしかなかった公園がハレの場になったんだなあ。その後nestへ、満員のフロアに開演前から疲れてしまい、久々のnisennenmondaiからの低音が胃にキテ、気持ち悪くなってしまった・・・。続くオウガは途中から上のモニターで観た。不本意。ごめんなさい・・・。



3月30日(月) 会社、席移動。ブラインドを上げてる窓が見えるようになって嬉しいけど、後ろの山が煩い・・・。/ 夜ご飯は鰆。ほっくりやわらか春だねえ。フライパン蒸し焼きは手軽で充実感。



3月31日(火) R7年度最後の日。バタバタソワソワ。



4月1日(水) 年度初めな仕事のあれこれで疲れて、今もぼーっとしてるけどそもそも今朝はdipの感想書き上げたくて1時間早く起きたんだった。でもやっぱり、仕事、いまだに慣れなくて変に考えすぎちゃう。もうそんな歳じゃないのに。



4月2日(木) お伺いたてながら進めなきゃならない業務は疲弊する。自分の許容量の小ささを認識することもつらい。



4月3日(金) ほんとは1日休のつもりがビビリなので午前中は会社へ、退社し昼は馴染みのカフェでサンドイッチ食べながら店主と映画の話をして楽しく過ごし、外へ出るとあたたかで光に溢れていた。

桜並木の下はたくさんの人が歩いていて、国籍も性別も年齢も問わずに集い、空を見上げて笑顔を浮かべる、なんて平和な光景だろうか。

夜になって帰り道。住宅街を曲がるとふっと飛び込む、白き鮮やかな幽玄に息を飲む!とその下でスーツ姿の男性がスマホを掲げて写真を撮っていて、こんなひとりの空間も守られていく世の中でありますように。