9年振りに歩いた街

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今年の遅めの夏休みは、盛岡へ旅をしました。2010年7月に初めて行って以来、もう一度歩きたかった街。
その間に震災を挟みながらも、2019年9月の盛岡は変わらない佇まいのままでした。中津川が流れる風景も水面の透明感もそのままで。河原にも路上にもゴミや落書きが無く、繁華街であっても派手なサインやはしゃぎ具合が目につかず、高層マンションは思ったよりも乱立していないし、記憶の中の風景が広がっていました。
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犬の散歩や釣りをする人々とすれ違いながら、河原をずっと歩きました。何度も何度も行ったり来たり。前回とおんなじように。
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もう少ししたら、鮭が遡上するのかな。
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今回は蜻蛉をたくさん見ました。
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観光名所に足を止めることなく、街の中をただただ歩いた。それだけでなんて楽しいことか。
歩きながらgoogle mapで見つけた施設名になんだろね?と向かってみると
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蔦が絡まる素敵な洋館!旧石井県令邸。「県令」とは今の県知事にあたり、明治18~19年に建設された私邸だそう。そういえば、前回との大きな違いはgoogle mapを使ったことかもしれません。

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キリリと透明に澄んだ川と風、周囲には山が聳え、空が広がっている。
中津川の眺めが原風景となって盛岡の人々をつくったといっても、過言ではないでしょう。
盛岡の街を歩き、古き建物を見、点在する店を巡ると、それを実感したのです。
盛岡旅日記のはじまり - 音甘映画館

9年前に記した言葉を今もそのまま伝えることが出来る街、盛岡の旅記録のはじまり。

公園からはじまるドーナツトーク

盛岡城跡公園芝生広場整備事業の事業者公募について|盛岡市公式ホームページ
今年3月決定の話なので今更だけど、こんな発表を目にして驚いた。あちこちで話題が増している「公募設置管理制度(Park-PFI)を活用した民間事業者の公募」だけど、あの「minä perhonen(ググってコピペしました。だって書けない言えないワードでしょ?)」がこんなこと手掛けるなんて!しかも「設計:藤森照信」て!ええええええ。


私にとってはminaであるミナが、ミナ・ペルホネンとなり、いつのまにこんな会社になったのだろうか。スカイツリーの制服を手掛けたときにはギョッとしたけど、まさか行政とこんなに絡んで「整備事業者」になるなんて。
minaは「着るには人を選ぶ」服だと思っていて、あの柄と色合いとフォルムを着こなすなんて一般人ではあり得ない。そもそも高額過ぎて妖精の暮らしでないと、無理である。装苑で見ていた世界が「ある一定の人」の「衣装」となったのは、亜流が廉価版として「森ガール」となった頃、であろうか。「天然生活」あたりの雑誌が相次いで創刊され、「ていねいな暮らし」の名のもとに「日本の職人の手仕事」がクローズアップされ、手紙舎によるクラフト市がイベント化されてオシャレスナップに撮られるがための装い。お金をこういうことにバンバン使う人たちは一定層いるのである。思えば、ほぼ日が「このやり方がある!」と気づいてしまったことにも繋がるわけで。
公園という、普通の人の日々の暮らしの当たり前の場所を「民間の力を活用」し「にぎわいを創出する」時代の流れのなかで、minä perhonenが手掛けるってことは、公園で過ごす時間を「ハレ」とするってことなのだろう。「普通」って「素敵」って「お洒落」っていったい、なんなんだろうねえ、パトラッシュ・・・


なんて気を失ってきたところに飛び込んできたこの記事に、目が覚めて震えた。
Bring the noise: 雑誌オリーブを読んでた野郎の話|oga_gicho|note
引用するに

なによりも驚いたのは、怒りである。彼女たちは怒っているのは理解できる。だが「こんなクソダサい世界は嫌なんじゃー!」とストレートに怒ってるのではなく、キラキラとした前向きな「!」と「。」を使った見出し、そしてセンスあるファッションで怒りを表現しているのだ。手法は違えど、精神はパンクである。

90年代の半ばに渋谷系が流行り始めた。雑誌オリーブは、相思相愛であろうカジくんやオザケンとかなり蜜月な関係になった。俺はそのあたりから、ちょっとオリーブに対しての情熱が徐々に薄まってしまった。彼女たちは戦いをやめてしまったように見えたからだ。

ああ!もう!すごく同意・・・!


いちおう言っておくと、「オリーブ文体」とかオブラートとしての「良い子」感はすごく苦手だった。そんでもって、パンクとかDIYと称して「私は他とは違うの」感を出そうとする物言いは好きではない。私はパンクよりはポスト・パンクが好きだし、マーチンの靴は去年くらいに初めて買ったし、不器用で面倒くさがりなので自分で何でも作っちゃうなんてことが全く出来ない。
でも今も思い出すのは田んぼのあいだの道を自転車漕ぎながら、赤のウォークマンで「海に行くつもりじゃなかった」を聴いて学校に向かったあの頃と、その後に表出する「好きなものが大多数に消費されてった」違和感なのだよ。


オリーブとか渋谷系の話ってネット上では冷笑視点で書かれがちでモヤモヤするけど、まあ、誰もが「私のことなんてわかりっこない」と思い込みがちだし、若さゆえの「怒り・苛立ち」のアプローチの違いなのだし、体育会系だろうが文化系だろうが日本は「ヤンキーかそうでないか」だし。事象を表層しか見ないとか、表層も根底があるから層になるのか、ちなみにY氏は精神的オリーブおじさんのハズだけど、今は長々語らないしこの記事を読んでもシレーっとしておったよ。
衝動でここまで書き連ねて何がいいたいのかわからないままだけど、書きなぐったままにしておく。

【追記】
第9回 ガーリーカルチャーからスーザン・チャンチオロに出会う | 90s in Hanatsubaki | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂
今この記事を読んで、一時期のoliveが担っていたある部分は”93年4月号に誌面リニューアルを行なった”「装苑」に引き継がれたように思う。そういえば私もその頃は装苑やcutieの世界観に惹かれていた。

「その時代その時代のあたり前や、新しいものはどんどんくつがえされていくし、変わっていく」ことの例証として受けとめてもらえたらいいのかな、と思う。

【追記2】
Olive博物館 雑誌「オリーブ」バックナンバー | 食と暮らしの古本屋*eclipse plus
このサイト見ると、私の「オリーブ」感て、87~89年の「ごく数年間だけ」のものであり、誌面は年ごとに変化していることがよくわかる。そりゃあネットのような年齢バラバラななかじゃあ、話すれ違うわけだよね。

台風過ぎて

超大型の台風が夜更けにゴーーーーッと通り過ぎ、朝が開ければいつもと違う状況なのは東京だからこそで、交通網は軒並みダウン。通勤路を変えたことが功を奏し、無理なく楽に進んで、定刻から1時間少々過ぎて会社到着。モクモクと仕事を終えて、退勤。執務室出て、はー今日は盛りだくさんだったねーとエレベーターホールの窓の向こうが、真っ赤な夕焼け。ああ。こういう瞬間があるから生き返る。
にしてもこういう事態の時に上司の器がよくわかる。
ねえ、来年の今頃にこんな災害起きたらどうなるんだろね。どうしたらあんなに楽観的になれて、”何か”に対して敵意丸出しなのが、ほんとうにわからない。
店頭には梨や葡萄が並ぶけれど、まだモンブランを食べる気持ちにはなれない。空に浮かぶ雲に秋の訪れを感じながらも空気の暑さにうんざりする。人間ドックの結果に齢を痛感し、いつものようにパチンパチンとハマらないし、ああ徐々に減らしていかないといけないのだなと思いながら彷徨い、空っぽの時間を過ごす。親の「何かをしていないと!」という強迫観念に満ちた言動に震え、ひとりでぼーっとしてる時間だいじだなと思う。