コントロール

joy divisionのヴォーカリストイアン・カーティスを描いたこの映画が何故つくられたかといえば、残された人々が未だに消化できていなかったからなんだろう、きっと。
イアンの妻による手記が元というストーリーは下世話になりかねない芸能ニュース的展開を見せるけれど、
アントン・コービンによる映像が「写真家としてのエゴを存分に」というよりは淡々と映したことで、イアンのコントロールできない部分がひいやりと浮かび上がってきて、最後はまさに鎮魂歌のようだった。でもそれは、イアンに向けてというよりは「あのころの自分に向けて」とでもいうような。
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雑誌のインタビューでdipのヤマジが「最近のバンドは鬱屈とした思いがなくてもjoy divisionみたいな音をつくれる」と言っていたのが印象的だったのだけど。
確かに今は「いまいる時代のなかで育まれた気持ちが音を生み出す」というよりは「ネットによって時代もジャンルも関係なく、カッコイイと思う音をアレコレひゅっひゅっと繋ぎ合わせる気分」のように思える。録音技術も発達して、ソレっぽい音を作ることだってできるんだよねえ。

Beat Pyramid

Beat Pyramid

コレもそういう音だなあって、だからコレが2008年の音なんだなあって、若さなんだなって、そう思うのは歳を取った証拠なんだろうなあとブリットポップ喧騒曲を思い出しだしたりする。