ビューティフル・ルーザーズ

表参道の駅からケヤキ並木を歩く。あの頃と変わったのはやっぱり同潤会アパート、そして豪勢な海外ブランドショップが増えたなあとかサンドイッチのバンブーも建物が変わってしまったなあとか。ひっそりとした雰囲気はこの界隈にはもう無くなっている。そしてウェンディーズを曲がった先にあったtrang cafe、ここでよくお茶したなあベトナムコーヒー飲んだなあなんてことを思う、あの通りによく行ってたころはちらほら店も増え始めていたとはいえ人通りもさほど無い、散策路のひとつだった。原宿〜渋谷の明治通りに平行した路地には大手アパレル会社によるものではない洋服屋が、ロンドンでもパリでもなく今までにはなかったようなテイストで見せてくれ、辺りの塀には画数が多い夜露死苦ヤンキーな落書きではなく、グラフィカルな英文字が描かれるようになっていた。
そんなことを思い出しながらラフォーレの5階へ向かう。
ラフォーレミュージアムでは映画の公開に合わせて、参加アーティストの展覧会を行っていた。入場無料。
そこには雑誌やアートブックでおなじみとなった「90年代」があった。キャンバスではなく、壁や部屋そのものやBMXに描かれた作品たち。写真はぶれているしフレームから欠けているのにそこにはちゃあんと生きているヒトがいる。
からだとこころ、ここにある作品とわたしの記憶がぐるぐる回る。不思議な気分にとらわれた。
フォーレ内を軽く流す。かつて路面やどこぞの古いマンションなどで小さく営業していた店もブランドとなっている。発信するのではなく立派に流通されているのだなあ。


そしてライズXで映画を見る。
ぼんやりと見ていていつのまにか終わってしまった。私はこの映画でなにを見たかったのだろう。インタビュー中心でその当時を懐古する云々という展開はモチロン予想していたけども。
アート/ファッション/音楽、80年代後半に「夜の地下室で」うごめき始めたものが90年代に入って「ストリート」という名の元に日のあたる場所に出てきた。それは散歩すればすぐ「手」に取れるような感覚で。あの波が広がっていきビジネスという見えない大きな波に組み込まれたころ、私たちの手自身もネットという見えない波に変化してしまった。「ストリート」はそこには無い。ちょうどそういう時代だったんだなあと思う。
この映画でなんだかしっくりこなかったのは「アメリカの不良」である彼らの「若さ」ゆえの活動がお金を呼び込み一時代築いたとしても、今はもう「若くはない」彼らがまだやんちゃな「アメリカの不良」であり、「僕らはものをつくるのが好きで」それをアレッジドギャラリーに集まる「みんなとわかちあうんだ」みたいなノリだったからだ。「みんなと」ってのが私には苦手な部分なのだなとこんな歳になっても思ってしまう。
それと。私は90年代のあの頃学校に通って絵を描く日々を過ごし少なからず作り手の中にいたのだけど、今はそこからは離れてしまった。だからちょっと羨ましいってのもあると思う。
テレピンや膠の匂いが頭をかすめる。ぽあんとしたマニー・マークの音楽にぽあんと乗っかったまま、映画館を後にした。