犬島にて

犬島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島で、明治から大正にかけて銅の精錬が栄えましたが、銅価格の暴落によりわずか10年(!)で操業停止になったという精錬所の遺構として、レンガ積みの煙突が数本残っています。人口も激減し眠る島であったところが、直島の成功を受けてベネッセが2008年に開館した「犬島アートプロジェクト“精錬所”」が話題になっています。
今回の岡山旅で訪れてきました。港から島へは小舟でわずか10分程度ですが、岡山駅から港へ向かうまでのほうがちょっとした小旅行でした。
んで、やっと着くとドーンと目の前に。





確かに「カッコイイ」んです。
でもね、居心地悪いのです。モヤモヤする。

違和感。なんだかセットみたい。古いモノなのにツルッとしてて、廃墟なのにノイズが無くって。「廃墟」をキレイに整備しているわけで、流れる時間のバランスがオカシイのです。

エントツの向こうに見える緑の物体、あれはなんだろう?

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「精錬所」も環境との共生云々とコンセプト掲げてアート作品になっているんだけど、建物の構造は非常に面白かった。けれど、目の前にこんな風景あったらそっちに目がいくってもんなんです。

うみー!なんだもん。


向こう岸の白い小屋に行きたかったなあ。
そうそう、犬島はもともと花崗岩の採掘として名を馳せていて、大阪城のような歴史的建造物からイサム・ノグチのような芸術家までが「犬島産」の岩を使用したそうです。犬島の名前の由来は「犬」の形した巨石があることから、らしいんだけどホントに犬みたいな石がッ!


いぬちゃん?

クラゲもいたよ〜。なかよしさん。

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島内を散歩することにしました。
精錬所の向こうに回ると一気に静まり返ります。

そこにはもう人影がない商店や家屋がありました。先程見た緑の物体も、使われなくなった小屋のひとつだったみたい。

勿論在住されているかたもいらっしゃいますが、雑草がもうもうと茂る傾いた家が多かったです。


さっきのエントツ、裏から見るとアドヴェンチャー・ワールドみたいだなあ…

葱坊主と煙突。


集落を抜けるとただただ乾いた道があるだけで、自分がどこにいるのかわからなくなってくる。


日差しが強く、暑い…ん…だ、よ。。


と朦朧になっていたところへ(大げさ)

うーみー!

(クリックしてオリジナルサイズでもおたのしみください)

ズズズズーッと広がる海、うみ、海!キラキラしてて、きもちよいなあ。
近年は海水浴場としてフツウの娯楽場だったんだろうなあ。


朽ちてゆくのを待つような家々のあいだに、新たに小さな家が建設されていたのでおや?と思っていたのですが、

直島同様、「家プロジェクト」が始まるのですね。そりゃ、島内回遊させなきゃですよね。
事実、今のところ「精錬所」しか施設がなく、写真パパっと撮ってすぐ島を離れる人が多かったです。島をぐるっと回って戻ってきたら、一緒に船に乗ったひとは殆どいなくなってたような気がするくらい。直島とセットで回る船もあるようで、なるほどなあ…。

私が直島へ行ったのはまだ地中美術館が出来る前で、のんびりと島内を巡り、地元のかたがたもあたたかく話しかけてくださる「余白」があったけれど、今はとにかく「アート」が消費される世の中ですからして、人出もかなり多くなったようです。


直島があれほどまでに成功したのは、ベネッセと地元のかたがたが友好的に協力しあったからでしょう。
「在るものを活かしつつ」新たに生みだすことは再開発として良いあり方ではあります。しかしやりきれなさも残るのです。

この施設だけは観光客でにぎわい、「ベネッセは」潤うかもしれない。もっとも「島の再生」というよりも、都合よく「廃墟」があったことで、その「在るもの」を活用し、「アート」という印籠を掲げてビジネスになればそれでいいのかもしれない。閉ざされてしまう運命だったかもしれない島を「装置」として集客させるのだから。
ただ私が気になるのは、新たな刺激として遊園地代わりに「アート」ってノリがあるからです。芸術とはお高く止まっていなきゃいけないものだとは、けっして思わない。けれど、最近の「消費材料」としての在り方に疑問を感じるのです。


この島は「再生」が始まったばかりです。10年もすれば煙突周辺の場も馴染んで、家プロジェクトもこの島の「家」として溶け込むでしょうか。これからどのように繋がっていくのかを離れた地から見て行きたいし、いつかまた訪れたいです。

【追記】直島は1992年にベネッセハウスが出来て以来、ゆっくりと島内の方々に馴染んでいき、ゆっくりと場を広げながら世間に認知され、人気スポットとなりました。対して犬島はその段階を経ずに、人々が「アート」に求めるものも変化するなか、いきなり「背負う」ことになるわけです。しかもまだまだ「在るものと新たなもの」が馴染んでいない時期であります。
以上を踏まえると、「廃墟・廃屋」の再利用を軸に据える犬島が、今後どのように「世代の共存」が成されていくのか、難しさも抱えているように思えるのです。