海炭市叙景〜函館市民による映画づくり

海炭市叙景 (小学館文庫)
函館市が全面協力している」と大まかには知っていたものの、見終わって公式サイトを読むと、「函館出身の作家・佐藤泰志による『海炭市叙景』を原作」に「市内のミニシアター支配人を中心とした有志団体が企画し、製作実行準備委員会を発足」、「“市民参加型の映画づくり”をスローガンに賛同する個人や企業から資金を集め」、「撮影には多数の市民がボランティアで参加」「メインキャストを含め数多くの登場人物にオーディションで選ばれた一般市民を起用」とのこと*1で、行政に依存することなく、市民がここまで深く関与しているのかと驚いた。

海炭市叙景」映画化の目的・意義
・函館生まれの作家による、函館をモデルにした小説を、函館ロケで映画にする。
・今の函館の町並みを映像として記録し、後世への記憶に残す。
・市民参加の映画づくり。映画づくりという大きな目標を掲げた自主的活動が、町に活力をもたらし、文化活動の新しい形を生み出してゆく。
〜公式サイトより引用〜

これこそが、この映画にとって最も重要であり、評価されるべき点なのだと思う。助成金を受けた町おこしな、函館のいいところを謳った「観光映画」ではない。本作に漂う鬱屈した閉塞感は、日本全国どこでも見られるものだろう。よくこの企画が市民に浸透し、これほどの成果を挙げることができたなあと思う。やっかみ混じりの反対意見で潰されそうなものなのに。明確に「目的・意義」を掲げることが出来る人がいて、それを受け入れ、賛同する人々が生まれるという「風土」が根底にあるのかもしれない。
そして、素人相手に演出をした監督の手腕あってこそだろう。

さて、ここで延々語られるのは「リアルな生活」だ。先行き見えない沈んだままの「なんでもない日常」を淡々と描くのみ。そう、私たちは確かに苦しい。それを抱えたまま、それでも人生は続いていくし、どこかにほんの僅かなひかりがあるのかもしれない。
…で、それで?としか私には思えなかった。たとえそれが監督の「狙い」だとしても。
この手の話は確かに現実として山ほどある(事実私は仕事でその類を目にする機会が多い)。その「共感を得やすい」暗さのなかで酔っていて、映画として昇華されていない気がしてもどかしかった(映画ってなに?という根源的な話を出されても困るけれど)。いくつかの短編が絡みあう手法は珍しくないし、真正面から撮っているとしても、「叙景」と称すべき風景描写に優れているとは言いがたかった。もしNHKのドキュメンタリードラマとして深夜に放送されていたらぐっときたかもしれない。
それと、「不遇の兄妹がかき揚げ半分こして年越しそば」とか「嫁が食べてもらえなかったオムレツを三角コーナーに捨てる」とか、「水商売の妻」「再婚した妻のヒステリー」とか、全体的にいちいち男性目線だなあ〜って記号化した描き方にイラッとしてしまった。

と個人的に気になる点はあるものの、この映画を支えているのは、ひとりひとりの「これは”わたしの”、映画だ」という気持ちなのだと思う。
今回の成功で函館市は次になにをするのだろう?これをケースモデルに、他の都市でもこのような試みはされるだろうか?続いていくこと。そこがやっぱり重要なのだと思う。

【追記】函館には行ったことがなく、ちょっと調べると「函館西部地区バル街」というイベントに行き当たった。中小企業庁選出の「がんばる商店街」(リンク)によると、「伝統ある函館の西部地区をスペインの「バル街」に見立てて「飲み」・「歩き」を徹底的に楽しもうというユニークなコンセプト」で始まったものだそう。興味深いのは「観光客相手」ではなく、「地元を見直そう」と市民へ向けられたイベントだということ。
こちらの「地元を見直す企画=函館バル街」(リンク)によると、「市民に街を歩いてもらって気づいてもらおうという目的を持って始めた企画」で、あくまでも「市民がターゲット・観光はその次」だそう。発起人は市内でスペイン料理店を営むオーナーとのこと。
今回の映画と共通する部分が多く、函館という街の風土を考えさせられた次第です。

*1:公式サイトより部分引用