ひとり旅って?oliveの感性って?その他諸々。

寒さの中に春の息吹がすこーしづつ感じられる今日この頃。凍てついたNEWWAVEな音をあまり所望しなくなったよな、そんな空気。


新聞を読んでいたら旅行会社の広告があり、「ひとり旅」との謳い文句に「お?!」と目を留めると「おひとり参加限定の添乗員同行パッケージツアー」だった。…え?なにそれ?
列車+大型バスに乗って、みんなで点在する観光地をぐるりと回るアレですよ、アレ。温泉地から京都・金沢に奄美に、直島まであるよ!わ〜!
…って、それ、「ひとり旅」じゃねえ!!!!!


金沢、で思い出したけど金沢21世紀美術館で「oliveについての展覧会」が開催されるそうで。モヤモヤモヤ。
「olive的なもの」を確立した制作サイドに関しては、紐解く面白さは確かにある。けれど「olive」という一雑誌にまとわりつくものは私には(いろんな意味で)重く、無邪気に喜べない。公式サイトに「かつてオリーブ少女と呼ばれた読者たちは、いま30代、40代となり、オリーブの感性がいまなお生活のなかに息づいています。」と記されていたけれど、そういっとけばいいだろ的な免罪符にしていないかなあと思えてならないのだけど…。ってそれワタシか…(笑えない)。ともかく、そのよくわからない「オリーブの感性」ってものがいったい何であるのか、その展覧会に行けばわかるのでしょうか。


そういうモヤモヤは小沢健二のコンサートに関しても抱いているのです。ファースト・ソロコンサートの日比谷野音しか見ていなく、Lifeでアッパーな国民的歌手時代に線を引いていたわたしには、時を経てもやっぱり気持ち的に無理だなあ。たくさんのひとに「オザケーン!」「王子ー!」って叫ばれつつ、はにかみながら唄う姿を目の当たりに出来ない…。(とかグダグダ言うめんどくさいヒトですみません)
で、さっきの「olive」に対する違和感はここに結びつくのだな、王子と呼ばれ、連載を持っていたあの頃はもう「olive」は「大衆的な存在」だった。そして、それよりも既に私が対象年齢ではなかったことにつきるのだろう。


そういえば先日、新宿南口を通りかかったらルミネが改装中で、なんとびっくりボンジュールレコードが出来るのね…。伊勢丹にも一時あったよね。ルミネは最近”ルミネにアートがやってきます”なんて、若手アーティストを起用した企画をやったりしてるけど、ハテなんなんだろう。ア、アート…ね…。
なんつうか「オシャレ的」なものの移ろいを感じる。かつてはセゾンがやってたようなコトともいえるけど、どことなくインスタントなにおいがします。
ボンジュールレコードで売ってる音楽は私の「好き」とは違うのだけど、街にレコード屋がこんなに減った今、「服を買って、CD買って」はどれほどいるのかしら。不思議…。それにそういう行動が「街の中」ではなく「駅直結のビルの中」で済まされる時代なのだなあとつくづく思う。ボンジュールはファッションブランドがやってるからか、レコードショップの旧来的な音楽の匂いがしないけど(「チッ」と舌打ちしたくなるよね…)、だからこそ、この時代でも存在しているのだろうか。