「駆ける少年」「Playback」

今週の金曜日映画はオーディトリウム渋谷にて、まずは「駆ける少年」。やはりナデリ監督はお出迎えでいらっしゃった。狭いロビーは人でいっぱい、開場まで待つ場所も無いくらいでちょっと人疲れ。
70年代初頭のイランが舞台で、アミール・ナデリ監督の半自伝的映画。物語は「少年が走る!叫ぶ!」、極端に言えばたったこれだけ。けれど、少年たちの細い躯からほとばしるエネルギー、折れそうなほどの足が海沿いを、荒野を、線路上を、目が覚めるほどの早さで駆け抜ける様に引きつけられずにいられない。何処か遠くへ行ってしまう船や列車、飛行機の轟音を掻き消すように叫ぶ声の強さ。イツカドコカヘと憧れを内に秘めながら。 特に取り憑かれたように声をあげて文字を覚える時の、打ち付ける荒波とのリズムの凄まじさ!天然ガスの炎と溶けた氷の水しぶきの激しいまでの美しさ!でもそれらを超えるほどにアミル少年の満面の笑顔は愛らしく、強い光に満ちていた。人の根源的な部分を抽出し昇華した映像は確かに素晴らしいけれど、それだけを素直に受け止められなかったのが正直なところ。荒んでてすみません。。。といいながらも、アミル君の笑顔と叫ぶ声が忘れられない。


そして続いてもう一本、「Playback」。とにかくカッコ良いとしか言いようの無いショットの連続でありながら滑らかに繋がっていく。反復反復連鎖連鎖行ったり来たりしながら*1、ラストショットの先には確実に変わった声色があるのだろうと思わせるところがスゴい。人生は過去やら未来へと続いていくのだな。
で。この全編に漂うカッコヨサは資質なのか知的要素なのか、と思いながら見てた。印象的なシーンはいくつもあるのだけど、「変わりますよ」といった合図のようでもあり(それで確かにいいのだけど)、グッと来る手前に一枚幕がある感じで、どことなくもどかしさがあった。そんなクールさが先に立ち、ムラジュンから「40男の倦怠感」がさほど滲んでなかったのは敢えてなのか私の感覚不足なのか、それとも監督が若いからなのかなあ。ムラジュンの顔つきは確かに老けたけれど体つきが中年のソレではないのもあったのかしらん。まあ、エンドロールの楽曲も昨今の若き叙情な佇まいだから、ね。そもそも背景としての中年男の悲哀を描こうとはしていないのかもしれません。うむむ。
この映画で好きな部分は、「無音」と「真白」。時折ふっと訪れるその瞬間、私の記憶の奥がフィードバックする。胸の奥をつんとつつかれて、あ、と動きが止まってしまった。28歳の監督によって映像で表出されたあの感覚を、私はこれから40代を迎えた折々で味わうことだろう、きっと。
渋谷駅に向かいながら眠くて仕方が無くて、もう複数本見たりレイトがツラいなーと軽い倦怠感を抱えながら帰宅した、やれやれ。

*1:モノクロで反復、となるとやっぱりホン・サンス思い出さずにいられない。使用感は異なるけれど。