アンドレアス・グルスキー展 → 中村まりライブ

この数日の気候は幾分過ごしやすい。へばるような蒸し暑さは抑え気味、風が心地よく感じられる。
今日は国立新美術館に向かうため六本木へ、お昼を食べようとした店が閉まっていて倒れ込みそうになる。この絶大なるアウェイ空間に於いては代替案が思いつかなすぎてうろたえる…。インドカレー屋があったのでエエイと入りすごい勢いで食べ終わり、ミッドタウンで甘いもの。フランボワーズのかき氷とバニラのブラマンジェ、香りがよくて美味しかった。量も多すぎず。

アンドレアス・グルスキー

さて新美のグルスキー展。ペラッとしててビガーッとしてて、2次元の平面感が神々しい。人間・自然・建造物、地球上の全てのものに対して俯瞰で等しい距離感を保ち、我が瞳のままでは不可能な視覚によって切り取られている。センチメンタルな感情など排し、漂白したような薄さがあるけれど、ぞっとするような毒が漂っている。それぞれの作品はとてもとても大きくて、フレームの中に私のからだが重なり同一化するようだ。全体を見渡しながら、細部の事細かな箇所まで見ることが出来る。以前大山顕さんがプリントした写真について、「全体性は失われないまま、細部にシームレスに入っていけるって、インターフェイスとしてすごい」と言っていたけれど、まさにそのとおりだと実感する。
面白いのは例えばカナダの証券取引所を写した作品にレンブラントの「夜警」を思い起こし、モンパルナスの団地を写した作品にモンドリアンの「コンポジション」を思い起こし、近年のものは抽象度を増していくことだ。
そして画集に閉じ込めてしまうとまるでつまらない。まるで別物だったので、現物から得た感覚を胸にそのまま出た。


六本木から乃木坂にかけての、ヒルズ〜ミッドタウン〜新美を囲む円のなかの風景はひどくイビツで寒々しい。暑いからいつものように歩き回らなかったけれど、ちょっと歩いただけでも異様な感覚を目の当たりにする。60年代以降の時代ごとの繁栄の残骸が散らばり、消去ボタンで削除してくかのよう。


それから千代田線〜小田急線で下北沢へ移動。
毎度おなじみユニオン、drop nineteensの「Winona」とQuickspaceの「Precious Mountain」の12インチを購入。

「Winona」は言わずもがなな名曲ですが、ジャケも素晴らしい〜。Quickspaceはホントはこの前の、ローファイガチャガチャな音のときのが大好きなんだけど。これも音響な世界が始まる気分と繋がってて、今改めて聴くと面白い。
意気揚々と歩いて王将前あたりで外国の男性に声をかけられる。「ゆにおん、どこ?」て英語で。
わわわなんていえばいいのぅううとアワアワしながらなんとかお伝えして、ホッとする。ちゃんと辿りつけたかな…。バス通りに出たとしてもちょっと不安になる道なりだしなあ。。。スマホでグーグルマップ立ち上げて教えてあげればよかったと、今更思っておるよ・・・

中村まり ライブ

小さな小さな白い小屋での演奏会。声の存在感、ギターとバンジョーのつま弾き、聴き惚れるとはこのことだなっていつも思う。シンプルなアメリカン・ルーツ・ミュージックを土台に玄人好みな演奏を聴かせながらも、MCなどでみせる彼女のマイペースな朗らかさ。淡々と生きることの美しさが声に視線に滲み出ていて、素敵。今回もとても素晴らしかった。


外は涼しく、演奏と地続きな感触の気持ちよさだった。