NWな夜

「ニュー・ウエイヴ講座」が開かれることを知り、うおおおおおおと燃え上がり、ひゅいっとAOBAな街へ。実は初訪問。台風が近づいている報にちとビビリ、お前はフジロックに行くのか?!というイデタチで臨んだのでありました、、、
レコ屋をいくつか巡り、どの店も濃厚でカーッと燃え上がってしまう。街のつくりはとても大きくてメジャーなのに、めちゃくちゃコアな点がたくさん散らばっていて、面白いなあ。不思議な街。わーわーと購入し、いざ会場へ。
「ニュー・ウエイヴって何ですか?」という問いに始まって、そうだなあ…と悩む始末でありましたが、雑誌などの受け売りではない視点で語られ、音を聴いていくのはとても面白かった。
自分のこれまでの音楽遍歴を思い返すと、「暗い!」とか「ギターがザクザクジャキジャキ鋭角的!」「ベースラインがウネウネ!」とか「スカスカしてる!」とか、はたまた「エレガンス」もあったり、ナントモ稚拙な言葉が並ぶけれど、「いろんな音楽に影響されて」いて、「興味を持っていろいろ聴くはめになる」という言葉はナルホド確かにと思ったのであった。繋がっていくというか。
でも、自分が聴きはじめて参考にしたときの時代で、植え付けられる「ニュー・ウエイヴ」感は異なると思っていて、例えばpost punkとかエレポップとか、切り口で印象が異なるし、ジョイ・ディビジョンでいったら「Unknown Pleasures 」という向きが強いと思うけど、私が参考にしたときは「Closer」が取り上げられてたり。そこが面白いなあと思う。スクリッティ・ポリッティを例にしたけれど、同じミュージシャンでもアルバムで相当音楽性が異なってくるとか。XTCもそうだなあ。
ただやってやるぜ!でもなく、DIYの精神もあるだろうし、面白いものを作り出そうという実験性だったりとか。
こういった流れを受けて、「ニュー・ウエイヴな音」というくくりではなく「ニュー・ウエイヴな意識」という使い方が正しいのではという指摘もナルホド。
こんなふうに書いてしまうとお勉強みたいに思われるかもだけど、主催者もそんなつもりは無いし、単純にいろんな曲が聴けて楽しかったのです。
私が「ニュー・ウエイヴ」と聞いてまっさきに浮かべるのは、cureとjapanで。自分の最初の部分というのもあるだろうし、なんというか、みんなで盛り上がるのではなくあくまでも「対 ひとり」という点が私にとっての「ニュー・ウエイヴ」なのかなあと思ったりもします。