イマドキの雑誌の在り方って?

今日の↑のエントリで書いたことに補足して。

あの頃は「カルチャー・ガイド」としての雑誌が必要だったけれど、今はネットで都度、事足りてしまう。
ところで私は「この雑誌を読むヒトはどんな本を読みどんな音楽を聴くのかな」とよく考える。誌面の後ろの方に掲載される文化面にこそ、その雑誌の姿勢が表れると思っているのだけど今はそういうことは当てはまらないだろう。

  • 雑誌において書評やレコ評といったものがブログで毎日アップされていれば、実際購入する判断材料にしちゃうのは確かだし、「まとめ記事」が多くのブクマが付くのをよく見かける。そんな状況が当たり前になったなかで雑誌で単に「まとめ特集」されても買うわけない。
  • じゃあ雑誌って何?
  • 雑誌の編集者だからこそ出来るのは、いろんな現象を紐づけてまとめあげることなんじゃないだろうか。私たちはどうしても表面的なことしか知ることが出来ない。だけど取材をしインタビューをし、そのもの自体に迫ること、ひとつひとつの積み重ねを「集めて」「まとめて」「編集する」ことはお金をかけて雑誌をつくるひとにしか出来ないと思う。
  • 例えば「STUDIOVOICE」1996年10月号の特集「MUSIC LIFE」で読んだ灰野敬二のインタビューは何度読んでもぐっとくるし、(→内容についてはコチラを)最近ならばロキノンのサーストンインタビュー。(→内容についてはコチラを)これは雑誌のおかげで知り得た話だ。
  • 何をどう取材するか、誰に何をインタビューするか、は編集者の手腕が問われるのにそれが感じられない昨今。
  • 世の中は数限りないもので出来ていて全てが繋がっている。音楽も文学も映画も美術も、その時代に生まれたものはどれも特有の時代性を持つはずだし、それらは過去の歴史によって生まれ、未来へ向かうのだ。(大げさな書き方だけど)だから「雑多に」知る必要があるし、そのうえで特化したものがあればいい。
  • 「この特集だから買う」とはいえ、「"この雑誌の"この特集だから買う」ということ。それには巻頭特集以外の部分にこそ手をかけるべきだと思う。そこには決めウチで知るんじゃなく、思いがけず何かに出会えることが多いんじゃないだろうか。
  • 母は昔から雑誌「ミセス」を購読していて、私もずっと読んでいる。今はざっと立ち読みして実家に帰ったときにまとめて読む。「マダム向け」に思われるだろうし、実際ファッション面に関してはハイソサエティー過ぎて母も参考にはしていない。じゃ、なんで購読してるかといえばソレ以外の部分が毎月読み応えあるのだ。料理やインテリアに旅といったものから、いわゆる連載記事のカルチャー関連のことまで「ミセス」ならではの視点できちんと押さえている。誌面デザインも美しい。「ミセスが美しく装うために、賢く考えるために、楽しく考えるために」が、創刊以来のコンセプトとのこと。さすが文化出版局。ただ最近は天然生活なメンツが多くなっていてちと不安。
  • 今の美大生や専門学生の実態が知りたい…。
  • 「tokyowalker」が出て来た時に胡散臭いなあと思ったことを思い出した。
  • 雑誌には「人格」があってしかるべきなんじゃないだろうか?