“THEE MOVIE” -LAST HEAVEN 031011-

THEE GREATEST HITS

THEE GREATEST HITS

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散ライブ(2003年10月11日@幕張メッセ)の映像をベースに、彼らの足取りを追ったドキュメンタリー映画

  • 蘇りの血」とハシゴ出来る!ぴったり!と思って、ユーロから道玄坂降りて、シネセゾンへ。開演前のホールに集う皆さんは、映画というよりもライブで見かけるような感じなのが面白かった。
  • ワー!豊洲フジロック…!あれ一日目しか行かなかったーよ。
  • で始まって、あっあ、おとなしく椅子に座ってなんかいられない!ギョー、カッコイイーーー!グオーって暴れだしたくてしょーがなかった。血がタギる。ステージを遠目に撮るショットだとホントにライブにいるみたい…!
  • さすがの5.1ch、演奏終わって観客の歓声になったときのサラウンド感といったら。臨場感たっぷり。音量もっとデカくてもいいなあ。
  • 人殺しそうにギター弾くのに、なんで先にいっちゃうんだアベ…(ここで目に涙が)
  • デビュー当時の「あんちゃん」っぷりが笑えたーよ。
  • アレ、live tomatoからだよねー。平山雄一…。これとミュートマとSONY MUSIC TVのためにTVKはあったよ…。上京して見ることが出来た時の喜び…!
  • 時々出るモノローグ、気恥ずかしい…。
  • 見てる間暴れだしたくなるのを堪えて、手と足をぎゅっと抑えて。時折鼻がうぐっと熱くなるのをこらえてた。
  • 映画館出てカツカツと歩きながら、体内に抑えてたものが途端に溢れ出してきて、グアグアとゴボゴボと泣いた。


私は彼らのライブに通いつめたわけではないし、カッコイイと思いながらもハマるには既に歳を取っていた。だから客観的に、何故ミッシェルは売れたんだろうと思っていた。
映画内で「タイミングがよかった」とチバは言ったけど、確かにそう思う。96年にメジャーデビューというのは。「日本のロック市場」がちょっと変動しはじめたころじゃないかしら。
90年代前半”渋谷系”によって「カッコよくパッケージする」手法を把握したスタッフに恵まれたことが、大きかったのではないだろうか。「あんちゃん」だった彼らを「ロックヒーロー」としてマネージメント出来たスタッフと、そして勿論、彼らが「周囲の期待をちゃんと体現できた」ことと。そう、これが出来るバンドは少ないと思う。大げさな言い方だけど、「ロックミュージシャンとしてのコミュニケーション能力」が高かったのではないかなあ。
それと具体的に「舞台」が変わった。これまで「日本のロック」というと「高円寺」だったけど、queが出来たことで「下北沢」へ移動した。その間には「渋谷」があったうえでね。(渋谷系人脈が集ったzoo〜slitsがあったのもシモキタだし、フィッシュマンズもシモキタだ)ミッシェルはシモキタで始まり、この地を拠点とするUKプロジェクトから巣立った。「バンドが持つニオイ」が変わったことは確かだと思う。「中央線」をひきづったニオイではない。
あと、やっぱり、フジロックが始まったことも大きかったハズ。彼らのようなライブバンドにとって、大きなプロモーションになった。
そして、みんな渇望してた。ロックンロールってやつに。フツフツと湧き上がる若き血を開放してくれる場を。それをミッシェルはガツンと受け止めて、熱くクールに聴かせてくれた、カッコイイ兄貴であり憧れのロック・ヒーローになった。映画内で何人もの男の子が号泣してた。女の子に慰められてる子もいたのが印象的だった。


車体もエンジンもタイヤもバッチリだしガソリンも満タンなのに、なんでこんなに鬼気迫る「死の道へ一直線」な音なんだろう。ラストライブだからというわけではなくて、あのフルスロットルな演奏っぷりじゃあ、もたないわ。すっごく刹那。
デビュー当時の無邪気さからラストのあの風格っぷりには感慨深いものがある。たった7年かそこらで。終わり際、弦が切れたギターを掻き鳴らすアベの表情が、タマラなかった…。