(500)日のサマー

私は映画館へ「ベレー帽を被り、ボーダーとストレートジーンズに、マーチンを履いた」格好で、手には「ZESTとvinylのレコ袋」を持って向かいました。場内が暗くなってから私の前をそそくさと通って、隣に座った男の人がいました。何このヒト?とイラッとしながらも、映画はスタート。主人公の姿に私のココロも右往左往しながら、目に涙を浮かべてエンドロールをぼーっと眺めていました。館内が明るくなり、何気なく隣の人を見ると、私と同じくぼーっとスクリーンを眺めていました。彼は「ギンガムチェックのシャツにコンバース」を履き、その足元には「ZESTとvinylのレコ袋」が置いてあるではないですか!…これがこの恋の始まりだったのです。

という90年代な"思い出"は、勿論大嘘ですケド。


とにかく「トムくんよ、君は私か…」といちいち反応し、笑い、泣いたのでした。
恋をして生じる喜びや楽しさ、悲しみや辛さに苦しさ、あなたのいいところ嫌なところと同時に気づく私のいいところダメなところ。それらが「映像と音で」瑞々しく、軽やかにステップを踏むように表されていて、何度もぐっときました。それはまるで、私が頭に思い起こす思い出のようでした。
この映画を思いだすたびに、あれ?と気になったり気づいたり、印象が変化します。それは私の思い出だって同じことなのです。
偶然だとか必然だとか、それは私の「思い込み」なんだよ、なあ。今思えば。
ツカミこそ「ある特定の人」向けだけど、実際は性別や年齢、趣味嗜好を問うことのない映画だと思います。
以下、内容に思いっきり触れます。
サマーは実のところどんな子だったんだろう。そりゃあビッチ!と言いたくなる言動行動をしてたけど、思い返すとあくまでも「トム目線」の姿なのだ。ホントは繊細なココロを持ち、「傷つきたくない」から「運命の恋なんて信じないし、"恋人"は欲しくない」といってしまう、ごく「フツーのオンナノコ」なんじゃないだろか。両親の不仲とかトラウマになった恋があったかもしれない。
サマーがトムに対して、「この人は他の人とは違う!」と思ったときもあっただろう。でも何処かに不安を抱えたまま、それを吐き出すことも救ってもらうこともないままで、ある日ふと、気づいちゃったんだろう。その、「ある日突然」の心境はよくわかる。


食いつかずにいられない「スミス好きなの?私も好きなの!」というセリフ。あれはサマーが「インディー音楽好き」でスミスを聴いていたのではなく、そもそも「オスカー・ワイルド」が好きで、"彼の作品を引用しているから"スミスをちょろっと聴いてみたんじゃないかなーと思ったり。(で、「ドリアン・グレイの肖像」読んでる時に出会った人と…なんて。)クラスの男の子なんかが、自分が好きな曲聴いてるの気づいてつい、言いたくなっちゃうのってあーるよねーえ!
そういや、そもそもスミス好きな子が「カラオケでブルース・スプリングスティーン」なんて、カッコ悪くて口にしないと思うのヨ。(ちょう偏見)「ビートルズではリンゴが好き!」は「あー、この子はちょっと不思議ちゃんなのね」と最初は思ったけど(リンゴに失礼だよ…)。
そんなんで「ピクシーズ*1」にも「スペアミント*2」にも反応しないし、「スミスやメリチェン」のレコが飾られたトムの部屋に反応したシーンがなかったんだろうな。(私だったら、キャー!って興奮するわっ)(つか、あの部屋は私の部屋か)


とまあ、たぶん日を置くたびに記したくなることが出てきそうだし、まとまらないのですが。そんな「思い返すごとに深まる」ような、すこぶる「前向きな」いい映画でした。監督、イイ人だなーってすっごく思う。苦い経験をいっぱいしたのでしょうね、うん。
もっと若い頃(彼らぐらいの)に見てたら、どう思ったかな。今の私が見ると「若き日々」を思い出しながら検証出来るのが興味深いけど、「あの頃」に見たかった!とも思ったり。
「誰もがトムでありサマーである」のだなー。私も「あの恋ではトムであり、あの恋ではサマーだった」(過去形!)のでありました。

*1:ああいうカタチで聴くと、ポップセンス爆発!でビックリした。

*2:このところ中古盤屋行くと、やたら高いので謎なんだけど、今若い子に人気なのー?ちょっと前までワゴンセール的価格だった気が…