姉妹兄弟の結びつき 〜「森鴎外とその娘たち」と「橋本平八と北園克衛展」

とある金曜日。午後から新宿から京王線に乗ってつつじが丘でごはん食べて、てくてく歩いて仙川でパンを購入、再び京王線芦花公園世田谷文学館で「森鴎外とその娘たち」を見た。

このところわかってらっしゃる…な企画を飛ばす世田文ならではのお見事企画。チラシも素敵。やああもう、よかったなあ。

鴎外パパが娘に送ったお手紙、泣ける。朱の筆でさらさらとしたためた手描き地図の愛らしさ。滞在している奈良、ダイブツさん、山山、パッパはココだよ。泣くよ、もう!愛する父が亡くなったときの杏奴の手紙が殊更胸に詰まってしまう。

杏奴さんが留学先のパリから家族へ送ったたくさんの絵葉書のセンスと込められた愛情に、鴎外が彼女に与えてきた”みえないけれどたいせつなもの"を感じる。素敵なことだなあ。

茉莉様の展示はさすがに素晴らしい。学芸員さんの気合の掛け方が違うことアリアリ。アラン・ドロンを始めとする麗しき男優たちの写真切り抜きの山にキャ〜!その切り抜きにコメント書いた萩原葉子へ宛てたのとか、ああっオモシロすぎる。それと新聞のテレビ欄が!赤ペンで見る番組◯つけて、それを線で辿って朝から晩までみっちりスケジュールが組んであるの!私も休みの日はこういうことやってたなあ。。。どの番組を選んでいるかが興味ふかいわあ。鞍馬天狗草刈正雄)とか。伊藤つかさ懐かしいな…(違う意味でテレビ欄に見入る私)

一般的に「姉はしっかり者・妹はうっかり者」と妹である私は思うのですが*1、この姉妹は逆なんだよねえ。茉莉さんの「天真爛漫」な奔放ぶりの割に杏奴さんは大人しめな印象があったのだけど、茉莉曰く「お転婆」だった彼女が14歳で父の死に会い、姉は渡仏中だし、しっかりせざるを得なかったのだろうなあ…。溺愛された姉は「少女」のまんまだし。

外へ出て駅方向とは逆へ歩き、バス停「芦花恒春園」から小田急バスに乗ってのんびりした住宅街のなかを進んで、小田急千歳船橋駅前下車。ここから今度は東急バスに乗り込んで、ぐいーんと進んでバス停「美術館入口」下車。世田谷美術館へ。

「橋本平八と北園克衛展」を見る。彫刻家である橋本平八のことは知らなかったのだけど、この2人は兄弟なのでした。
前半は兄・橋本平八の作品。仏像など宗教的要素が強く伝統的な作風で、モダンな作風の弟・北園克衛とは対照的な印象を最初は受けました。けれど徐々に造形が「デザイン」されて、崇高さはそのままに、どこか親しみやすさをも感じるようになりました。合間にあるラフ・スケッチも愛らしく、見ていて楽しい。
後半は弟・北園克衛の作品。「VOU」がズラッと壁一面に並んで壮観…!ロゴをシンプルに配したデザインは全号に渡って一貫していて、単純だけどカッコいい!って呟かざるを得ない。こんなふうに表紙を並べただけでその誌面の変わらない姿勢が伺えるって、スゴいことだ。そういう雑誌って今あるかしら…。
空気をキリッと変えてしまう。こういうモダンさは古びることがないのだなあ。
この人の作品は「白」だなあ。この余白の美しさをモノにするには勇気が必要な気がする。

展示会としては「兄弟である」という説明がないと違和感があり過ぎるけれど、北園克衛曰く「私に芸術を吹きこんだのはこの兄であった」と記していたようで、大人になってからも芸術家同士としても交流を深めた兄弟であったとのこと。友人とは違う、まさに血を分けた結びつき。
先程見た森茉莉・杏奴姉妹の姿を思い出す。そして我が姉を思い出し、兄弟姉妹の関係性・影響力を考えてみるのでした。


世田谷美術館では小堀杏奴の夫である小堀四郎の作品展も開催、こんなコラボもなんだか片手落ち。というのも、双方間での交通アクセスがないし割引にもならないから。もったいない。。。
「文学者の愛した芸術家」とか「美しい装丁」なんて企画でコラボしてほしいです*2

*1:でも大人になってから、姉はかなり天然さんなことに気づいたんだケド

*2:画像のチラシ、いただきました、ごめんなさい