最近一番悲しかったのは、大好きな店がまたひとつ無くなったこと。正確には移転で、その店のご主人は遠い南国へと住まいを移されるのだ。繁華街と繁華街の谷間の、駅からも遠いところにひっそりとその店はあった。昔武家屋敷があった脇のゆるやかな坂道を下って行くと、不思議と時間軸が奇妙にネジレ、心が移り変わっていく。そして(あ、開いてた。良かったあ)と思いながら(というのも突如休みのことも多かったのです)小さく深呼吸して、ギイィとドアを開けると本を読んでいたご主人が顔を上げ、お互いに軽く「コンニチワ」とおじぎをする。いつも頼むのは珈琲とバゲッドサンド。待っているあいだ、ぼんやりと店内を眺める。壁にはご主人が生ける草花があり、その姿に背筋が伸びる。近所で摘んでくるとは思えない見事なかたちを描いている草花の、白い壁に写る影が好きだ。しなやかな線。店内で流れる音楽もセンスが良く、私が持っているCDとかぶらないけど私の好みに合う絶妙さが良いなあ。
珈琲とサンドが来た。この店だと深煎の豆が馴染みだけど、今日は浅煎で。香りがよくてバランス良い味わいがとても美味しい。それにしても私めっきり浅煎派になった。こんな変化を感じるのもこの10年通ったからこそ(ああ、10年か。私の人生もグルグル変化したものだなあ)。サンドは私の好きなパン屋のバゲッドを使っていて、半分はプチトマトのスライス、もう半分は舞茸のペーストを載せて軽く焼いてある。シンプルでとっても美味しいここだけの味。
この店のこの空間には静かな緊張感があった。ピンと細い糸が張っているようだった。でもその緊張感は穏やかさでもあり、心地よかった。ひとりでぼんやりしていると、体内が浄化されるようだった。そしてご主人と話したり、やってきた見知らぬお客さんと交えて話したことは、具体的な何かではなくとも体内に刻まれるものがあった。そういうものが蓄積されることは大切だと思うのだ。
「ごちそうさまでした」とお代を払う。「また珈琲飲みに行きますからね」「元気で、また会いましょう」
ノブに手をかける。このドアから外へ出たらもうこの店は無いのだ。蝉が鳴いていた。ゆるやかな坂道を今度は登っていく。「此処」から体が離れていくのが悲しかった。