メタボリズムの未来都市は珈琲を飲める街だろか。


朝、曇りがちで肌寒いくらいだった。朝食に珈琲とトースト。パンには何も塗らずにそのまんまで。生地の自然な甘さだけで、珈琲の味わいがぐっと変わる。どうやら珈琲にはシンプルな食パンが一番合うのかもというのが本日の発見。ハード系だと生地が強くて、珈琲には合わない気がしてきた。食パンの厚さは8枚切り〜10枚切り。美味しい店のならば、それくらい薄くとも生地がちゃんと味わえる。食パンならば、今日食べたHのが一番好き。あとMの。


昼、久しぶりにD珈琲へ。休日は結婚式帰りの方々のお喋りが煩く近づけなくなってしまったのだけど、早い時間だからか他に誰もいなくてほっとした。苦みの強い珈琲はガツンと舌を直撃して、ドンッと喉へ落ちてゆく。最近中〜浅煎が好みなので、久々の深煎の「刺激」にくらくらする。「ここ」のだからなおさらだ。度数の高いお酒みたい。
しばらくして入ってきたのは一人客、店内には珈琲を淹れる音とJAZZだけが聞こえてくる。風が通り抜ける空間が心地よいなあ。温度の落ちた珈琲を口に含んだときの、鎮静と覚醒が時間遅れでやってくる感じに痺れてしまった。焙煎と煙草の煙が染み付いた焦茶の、ストイックな、だけど落ち着くこの空間には、深煎のこの味がよく似合う。


それから森美術館で「メタボリズムの未来都市」展を見た。高度経済成長期に未来を夢見て生まれた建築物たち。図面やスケッチ、模型に映像など膨大な資料が並べられていて、ボリュームたっぷり、会場を出たら2時間強過ぎていた。びっくり。
展示から伝わってくるのは、戦後のなんにもないところからドーンとつくってしまおう!というエネルギー。その頂点が大阪万博なのだなあ。ただ、造形的には面白くても壮大な夢物語の頭デッカチで、「人々の暮らし」が見えないのだ。ナントモ、建築家とは「妄想」し続ける職業なのかしらねえ。「復興」は今の日本のキーワードではあるけれど、もはや夢物語は持てないよ。この展示を「森美術館」でやるということが、いやあな感じねえ。森ビルが考える「未来都市トーキョー」には、”普通の”人々が暮らしているだろうか?


日が暮れるのが早くなった。そういえば秋分の日だ。丸い夕陽が輝いてビルの谷間に落ちていった。