あ、春。

燃えるゴミの袋を持って外へ出る、と、あ…。動きが止まった。
ハッとしてドアのカギをかけて玄関前から外を見る。目が捉える光、頬に触れる空気、この感触は春だ、春の感触だ。やわらかくて、しゃんとしたなかからこぼれていくよな。ああ。通りかかりにある木蓮の、固く身を寄せたつぼみが少し膨らんだような気がした。


このところ揃えねばと考えていた喪服を買いにいく。恥ずかしながら今更過ぎるのだけど。足を踏み入れたことの無い奥の売り場へ向かい、いかにもベテランな店員さんにシンプルなものにしたい旨を伝えた。このあたりかな…と陳列を見るもしっくりこない。背の小さな私だとサイズが無いのも多いみたい。どうしよか…と悩みつつなんとか2つほどピックアップしたところで、店員さんが奥の目立たないところから「こちらはどうかしら…」と見せてくれた。わ!まさに!生地も形もぴたっとくる。さっそく試着、うん、納得。サイズも良い。即決で購入。時間かかるかなと思いきやあっという間のお買い物。素晴らしい店員さんに出逢えたなあ、プロの仕事だわ…と感服。
ところで伊勢丹に行ったのだけど、また大々的に改装しておりそれもかなり攻めてる売り場展開で驚く。流通業界のなかでも「勝ち組」と言える店舗だけど頻繁にテコ入れが必要なのだなあ。購買意欲を高めてくれる売り場作りを常に考えて実践していくからこそ、人気なのだろうな。先日寄った某デパートの静けさを思い出すのことよ…。


さて昨日はカバー曲で考えるところあったわけですが、今日はCM起用曲についてですよ。
いやー、まさか「あの曲」が麦酒の宣伝に使われるとはなあ…それもあの芸人さんで。麦酒なんてCMの中でも話題に上がりやすいものだし、かつては「ウインターテーーーール!」となんてのも有りましたけどね。

今回の企画通した人の話知りたい。90年代の喧噪とは様相も異なるし、あのバンドがほんとうに好きなら起用する発想など生まれないだろうし、どういう企画意図で、クライアントからどういう要望を受けて紆余曲折あって出来上がったものなのだろう。素直に知りたい…。そこまで深い意味はないだろうけれど。イントロで「使える!」ってトコなのかしら。そういやクリムゾン使われたのあったよなあ。
それにしても、あの曲があんなふうに使われ消費されるなんて、まったく皮肉的ではある。リリース当時「空虚だ虚無だ」とかなんとか言ってカッコイイ意味付けしてた人達は、なんて思ってるんだろね。