みなさん、さようなら


やはり給水塔はフォトジェニックだなあ…

給水塔とは団地などの広い敷地と住棟をもつ集合住宅において、給水に必要な水圧を得るために建てられた水槽を備えた塔のことですが、世界各国にはランドマークやモニュメントとして残されているものも多いようです。デザインも実に様々ありますが、こと日本においても特に昭和30年代に集中的に造成された巨大団地用に設置される際に「人々のランドマークになるよう」な思いが込められていたという話しを知って、胸が熱くなりました。その頃はRC造のいわゆるキノコ型が多く、たくさんのハコが並んだなかにニョキっと屹立する給水塔はある種異様な風体で、秘密基地のようでもあり、幼心に刻まれる風景になることは間違えないでしょう。

「団地映画」として話題になっていたこの映画にも「給水塔を向こうに配した団地」のショットが頻出し、ストーリーにはなんにもかかわりのない給水塔ではありますが、時代とともに変わりゆく団地の中であってもランドマークとして変わらずに有り続ける存在感を示していました。
個人的にはもう少し”団地”自体を描いてほしい *1 *2とは思いましたが、あくまでも団地は「舞台装置」であり、主人公の成長を描くにあたって「団地から出ない」という設定に至ったことに納得させられました。人の成長(変わる・変わらない・変えられない)を団地の変化(出る・出ない・出られない)に重ねるところがとても興味深かったです。

あくまでも主人公の視点で描かれるので同級生の減少や商店街の寂れ具合で変化が映し出されるものの、時代の変化をベタに描いているわけでもありません。ニュース映像や流行歌で示すこともありません*3が、主人公の唯一の外界との接点である同級生達(団地の外を知っている)の服装で伝わってきます。そして同級生はいても大人世代が希薄なことから主人公の立ち位置が感じられるし、高齢化問題や外国人の増加についても、主人公の目に見える範囲でしか語られません。
だからか、前半の描き方は特にさらりとした印象がありましたが、結果的に団地を「背景」ではなく「構造物」でもなく、「構造」として描いているのだなあと思いました。同じ団地に住んでいても窓から見える風景や聞こえる音が違うこと。同じ形で同じ間取りで隣り合わせの部屋に暮らしていても何も知り得ないわからないこと。前半で語られたのはまさに私たちの世界そのものといえます。

営団地は一時的な住まいであり、居住者は「いずれ出ること(人が循環すること)」を前提に考えられていたものの、現実には結婚当時から団地に住み続け、子供も巣立つことなく生まれてからずっといる家庭も多いと思われるので、「団地を出た=成長した」と短絡的に捉えられるのは間違えだと思いますし、現代社会の問題提議をする作品でもありません。
団地云々というよりは、「一心に信じ続け、揺るがない自分を作り、真の愛に気付き、新しい世界へ踏み出す…」を「団地」というインフラを利用して描いた、正しい意味での「成長譚な映画」だと思いました。

*1:とはいえ「あれはあの団地だな」とかなんとか面白かった

*2:原作は「団地愛」ではなく「マスタツ愛」のようですし…!

*3:制作費の兼ね合いもあるのか? さすがに団地の回りの風景までには気を配れず、家々や車などの映り込みはご愛嬌