「『可否道』より なんじゃもんじゃ」

「きょうはもんのすごくとんでもなく暑いです」との報道が頻繁に出され、確かに暑さはまるで鉄板の上にいるよう。外を歩く時間がなるべく無いように映画館へ。


獅子文六の「可否道」が文庫化されたはいいけど、あの装丁と解説は無いだろ…と憤慨していること*1は置いとくとして、映画化されたこの作品を神保町シアターの”銀幕の森光子”特集にて。「映画女優」としてスポットを当てるのもなかなか無いのでは。
私が気づいたころには「時間ですよー!」に「三時のあーなーたー」、それから「ドリフなコント」に「でんぐり返しとスクワット」はたまた「ジャニのお付き」といった話題ばかりのお方なのである。wiki見ると、濃厚な経歴に時代を感じずにはいられない。舞台でも既に初の主演をつとめていて、これがかの「放浪記」!げええ!1961年が初演ですってよ…。「可否道」が公開された1963年には仕事最優先になって離婚されたというから、内容とリンクして泣けてくる…。


そういう経緯を知った上でこの映画を見ると、テレビ女優として活躍しつつ、若い劇団員を囲い、しかし仕事も男も新進女優に奪われる…という役柄を演じるにはピッタリでオソロシイくらいなのであった。配役もよくて、上昇志向が高く小悪魔でカワイイ色気の女優に加賀まりこ、劇団員の爽やか青年に川津祐介、珈琲愛好会「可否会」メンバーは加東大介柳家小さん松村達雄宇佐美淳也で胡散臭い…。マネージャーの長門裕之にイライラ、このヒト苦手。。。
それにしても「銀幕の」森光子、巧いなあってしみじみ。もはや若くない哀愁や嫉妬など随所にビシビシ込められててほんと巧いわあ。。。つか、あのころ40ちょい過ぎみたいだけど、顔変わらないのねー。くりっとした黒目がちの眼と前歯2本だけ出てる感じがこじんまりと胡桃噛むリスっぽくて、愛らしかった。加賀まりこもリスっぽいけど、こちらは派手。ひたすらキュートでキラキラしてて、凄い。こんなヒトいたらそりゃあ文化人も皆様メロメロだよなああ。

タイトルバックは珈琲豆を使ったモダンさで素敵!と思ったら真鍋博でした。ナルホド。光子演じるモエ子は珈琲を淹れることが上手という設定で、ガリガリと豆を手挽し*2、パーコレーターなど抽出機が並ぶ中にケメックスもあってびっくりした!カタチも今と変わらずあのまんま。ケメックスは美味しく淹れられるのかイマイチわからないんだけど*3。珈琲のウンチクが奇天烈じゃないカタチでもっと盛り込まれたら良かったなあ。野点にはビックリしたけど、全体的に淹れ方がどうにもマズイ珈琲しか抽出できなさそうです。でオチが…あれって…うう。昔は豆も悪いし淹れ方もあんなんだから、自家焙煎珈琲店の方々のご苦労が忍ばれます。鬼にならなきゃ、本当の美味しさに辿り着けないよね…。


1963年だから東京オリンピックを間近に控えて、テレビはかなり普及していたと思うけれど、ドラマ撮影やアテレコなどの光景が伺えるもの面白かった。東京タワーやボーリングなど、時代がちらりと見えてくる。
最後の展開がとっても面白く興味深くって、今でも通用するピリリさ加減が好き。光子がメロウになるシーンが幾度かあって、自室の鏡の前でぼんやりと煙草吸ってるシーンとかオオッと思うんだけど、そういうセンチメンタルが間延びした印象になっちゃうのがざんねん。軽快さだけに絞ったほうがもっと面白かったかもなあ、などと思ったりもするけど楽しい映画でした。
【追記】モエ子が住んでる部屋が今で云うヴィンテージマンションな所が気になる。。。確かに女優だからこういうトコ住むよねえ。この頃の映画は立派な一軒家に簡易木造平屋建て、6畳一間のアパートに公営団地といった具合だけど、登場人物が住む場所から時代の変遷をまとめた文章を読みたいな。


帰りは近くで珈琲でも、、と思ったけど移動してもう一本、映画見ることに。

*1:随分昔に図書館で借りて読んだきりなので、嬉しかったのに!

*2:今も手で挽くことがていねいでおいしいと云うオシャレな向きが一部であるけど、どう考えても機械式ミルが均一で美味しいです

*3:昔はファーマーズテーブルくらいしかなかったのに、今じゃ矢鱈見かけるようになったねえ