新橋で「ザ・マスター」と1994年

今日の昼間はまるっと一人なのでどうしようかなーと考えて、昨年見逃し続けてしまった「ザ・マスター」を見ることにした。初めての新橋文化劇場!朝イチ10時!あまりこないエリアだし、二番館でココに来たことなかった。こじんまりさのあんばいがいい映画館。

144分と長丁場の作品だけど海の青の美しさに魅入られて最後まで、あっという間だった。
ストーリーの幹はあるものの、枝から小枝へ進もうとしてしまうと迷い込んでしまいそう。どんなかたちの葉なのかまるで見えないけれど、あるとき唐突に花が咲いたことに気づくような映画だった。
これまでのようにドカーンと爆発な箇所もないし今と過去と妄想がシームレスに行き交う展開は飲み込みにくいけれど、2時間以上ずっと引きつけられたのは画面の強度ゆえだろう。とにかく美しかった。どっしりとカメラを置いてフィルムに刻まれた厚みが心地よかった。ざらっとしつつもくっきりとした色調と豊かな陰影を孕む画面構成が素晴らしく、キャベツ畑や平原での疾走などの広がりある動きは胸にきた。そして役者たちのまなざしに射抜かれた。怪演の印象が強いフィリップ・シーモア・ホフマンを喰うほどの、ホアキン・フェニックスエイミー・アダムスのオソロシサ。
「マスター」は依存する対象から自らの合わせ鏡に切り替わり背負っていくものであり、砂で出来た空虚な無間地獄にずるずる入り込んでいくように思えた。それは別段悪いことではなく、そういうもんでしょっていう感じで。って何かいてるんだかわからなくなったけど。
ジョニー・グリーンウッドのスコアがすーごくカッコいい。キーになってる唄もよかったな。

見終わって12時半。高架下のゴチャゴチャした昭和な雰囲気の周囲にはぺりぺりと剥げている時代の跡が残っていた。

このビル、

ぽつんと浮いてるの。





お昼ご飯には愛媛・香川の物産館で正月恒例の「香川雑煮」を初めて食べる。毎年気になっていたのだ。

白味噌仕立ての汁に浮かぶ丸餅の中身は餡子入り!汁だけ飲むとぼやけた味だなあと思ったけれど、餡餅を食べるとバシッと決まる。特別うまーいって味じゃなかったのは、温かったせいもある、恐らく。。。そして明日の晩ご飯用にと、うどんとジャコ天を買う。
併映のか、もしくは何処かで他もう一本見ようかなと思ったけれど、天気もいいし街へ出ることにする。

珈琲を飲みにいく。独特の燻したよな薫りが舌にじわじわ浸みながら、ぼーっと誰でもない感覚になった。

そして移動、代々木公園駅で下車。



踏切を超えて住宅街を歩く。坂ありクネクネ道ありで楽しい。参宮橋駅を超えて明治神宮へ。

午年。

鬱蒼とした樹々の合間から光がこぼれ、しゃんとした空気を吸い込んで時間が止まる。


代々木側から出て北参道駅で乗ろうかと思ったけれど、明治通りからそれて歩くことにした。

参道と関係あるのかな?


この坂道、両脇の建物が建て替わってキレイになったからか、昔ほど江戸にタイムスリップするよな雰囲気が無くなってしまったな。晴れ着姿の女の子3人組とすれ違う。きょうは成人式。20年前って1994年!!!(以下略)



フォーレ前。

心もとなく建っている。

ここも建替え。

暗渠の跡。

渋谷駅の東急東横店も解体。


おうちへ帰りましょ。


以下略と書きつつも1994年でまず思い出すのはローゼズの2ndとプライマルの4th。この2枚のリリース時を思い起こすと心中まさに祭り状態だったけど、oasisbeckの登場で新しい息吹を感じたことをとても覚えている。思い出すとあれもこれもで止まらない。
帰宅して聴いたのは

Mars Audiac Quintet

Mars Audiac Quintet

(↑なんでだかカセットて)初期の手造りなシングル〜このアルバムの頃までが最高潮に好きだったなー。